こんにちは。

 

今回は、旧約聖書のダニエル書についておもに説明します。

 

この点についても、世間には間違った解釈が当たり前のように横行しており、またその間違った解釈がさも正しいかのように言われ、信じられているのが現状です。本当に、世間はサタンの欺瞞で満ち溢れています。書店やネット等に出回って、人々に支持されている解釈論は誤りです。このように、人々に人気のある教えを信用しないようにと過去に散々申してきたとおりです。

携挙について、私が過去記事「携挙の真実」で詳細に説明したにも拘らず、にわかクリスチャンたちは、携挙が近いと訳の分からないことを言っています。無いものに期待を寄せるとは、非常に哀れです。過去にあったダミ宣教会の携挙騒動(1992年10月28日)ほど熱狂的ではないでしょうが、それに似たような感じです。聖書だけでは彼らが理解できないので、私が分かり易く説明しても理解できないのは、彼らが世に属する人間、即ち、にわかクリスチャンだからであって、彼らは私の言うことに耳を傾けず、虚偽の教えばかり簡単に信用して疑いもしません。それで真実を知った気になって舞い上がっているのですから、惨めとしか言いようがありません。彼らには何を言っても無駄なので、放置します。

 

さて、過去に私が糾弾した偽教師のAmir Tsarfati(アミール・ツァルファティ)が先月(2017年6月)このダニエル書70週預言について誤った解釈をし、携挙に続いて、また誤解釈を広めようとしているのが分かりました。その証拠はこちら(Youtube)。彼に限らず、他にも誤った解釈をしている者が多いので、この点について携挙と同様、当記事で明確にしておきます。まず、ダニエル書にある誤訳は多いので逐一すべて挙げませんが、いくつか掲載します。

 

旧約聖書 ダニエル書 8章14〜16節(私訳)

彼はわたしに言った。「二千三百日に至って、聖所は清められる。」わたしダニエルは、この幻を見て、その意味を求めた。その時、見よ、わたしの前に人のような姿として立った。そして、ウライの土手の間から人の声が聞こえてこう言った。「ガブリエル、その幻をこの人に理解させよ。」

 

旧約聖書 ダニエル書 8章26〜27節(私訳)

語られたその夕と朝の幻は真実だ。しかし、お前はその幻を秘密にしておきなさい。多くの日々のことだからだ。わたしダニエルは気を失って、何日か病気になっていた。その後、起きて宮廷の務めをした。しかし、その幻に驚いたが、誰もそのことを理解しなかった。

 

上記聖句で述べられているのは所謂、2300の夕と朝の幻です。しかし、これと次の九章にある預言とは無関係です。

 

旧約聖書 ダニエル書 九章二十四節(拙訳)

お前の民と聖なる都に対して七十週が決定されてる。

 

聖書を見れば分かりますが、九章には2300の夕と朝について言及がありません。ダニエルは、9:4~19から明らかなとおり、イスラエルの民が神に従わず、罪を犯していることを嘆いて祈っていました。なぜそのようなことをしたかというと、旧約時代(紀元前)を生きたダニエルはイスラエルの民の行いが神の目に悪と映り、イスラエルのユダヤ人が選民ではなくなり、後に来るメシア(主イエス)が誕生できなくなることを憂いていたのです。旧約聖書を読めば分かりますが、イスラエルの民は神に従おうとしては反逆することを繰り返していました。ダニエルが与えられた啓示である七十週というのが、ユダヤ人のために設けられた最後の恩恵期間でした。それが経過した後は、イスラエルは選民国家として終わりを告げるということです。イエズス会から端を発した、終わりの時代にイスラエルが国家的に回復し、イスラエルのユダヤ人たちが主イエス・キリストをメシアと信じて回心し、黙示録にあるように14万4千人が出現するというような話は有り得ないのです。これは非聖書的な解釈です。ダニエル書9:24の70週とは、70週=70年ではありません。たまに、死海文書も引き合いに出して、イスラエルが国家として再度出来た1948年から起算して、70年後の2018年にダニエル書9章にあるとおり、イスラエルが荒廃する、即ち、その地域で戦争が起こるとかデタラメを吹聴している者もいます。この解釈も非聖書的解釈です。仮に2018年にイスラエルで何かあるとすれば、過去記事で述べてきたようにNWO支配層が無理矢理それが聖書の正しい解釈と人々を勘違いさせるために故意に戦争、紛争等をけしかけたりするかもしれませんが、それは聖書の預言で発生することではない、即ち、神の御業ではなく、サタンによる破壊行為でしかないと、私のブログ読者のみなさんは覚えておいてください。正しくは、ダニエル書9:24の70週とは、70週=490年です。1週は7日であり、7日は7年というように解釈します。これは民数記14:34とエゼキエル書4:6で書かれているとおり、1日を1年と解釈するのが聖書的です。1週を1年と解釈するのは非聖書的解釈です。したがって、1週=7日=7年、70週だからその70倍、7×70=490年となるのです。では、その起算点が問題となります。その前に、聖書を見てみます。

 

旧約聖書 ダニエル書 九章二十五節(拙訳)

それ故、知り、悟りなはれ。エルサレムを復興し、再建する命令の発令から救世主の君まで七週あり、また、六十二週あって苦難の時に広場と掘は再建される。

 

当時、エルサレムはバビロンによって廃墟となっていました。ここで、エルサレム復興とあることから、エルサレム復興と再建が始まる時が70週預言の起算点であることが分かります。旧約聖書を読めば分かりますが、エルサレム再建命令は4回ありました。再建と言っても単に建物を建てたり、道路を整備したりするだけではなく、国として主権回復することも含んでいます。聖書をよく読んだ方は知っていると思いますが、いつエルサレムが廃墟になったかを確認します。

 

旧約聖書 歴代誌下 36章18~20節(私訳)

彼は神殿の大小の祭具のすべて、主の神殿の宝物も、王とその高官たちの宝物も残らずバビロンに持ち去った。彼らは神殿を焼き、エルサレムの城壁を崩し、宮殿はすべて灰燼に帰し、すべての美しい品々を破壊した。剣を免れて生き残った者は捕らえられ、バビロンに連れ去られた。

 

所謂、バビロン捕囚です。有名なので知っている人は知っているでしょう。ここにエルサレムが破壊されたことが記述されています。神殿や城壁が破壊、放火され、民は捕囚になり、国家として主権もすべて失いました。これを受けて、ダニエル書9:25のエルサレム再建があり、失ったものをすべて回復するのです。上述したエルサレム再建命令は4回あると申したとおり、まず1回目は、エズラ記1:1~2のとおり、紀元前537年ペルシアのキュロス王によって再建命令が出ました。2回目は、エズラ記6:1以降のとおり、紀元前520年ペルシアのダレイオス王によって再建命令が出ました。神殿は、エズラ記6:15のとおり、ダレイオス時に復建されました。3回目は、紀元前457年エズラ記7:8以降と6:15からアルタクセルクセス王によって出されました。そして、7:25から「神の律法を知るすべての者を治めさせ」とあり、主権回復したことが窺えます。この3回目の再建命令によって失われたものを回復する命令といえるものでした。したがって、ダニエル書9:24の70週は紀元前457年を起算点とすることになります。ところが、アルタクセルクセス王はもう1度命令を出し、これが4回目です。ネヘミヤ書2:1にあるとおり、紀元前445年に出されました。4回目の時はネヘミヤが王に懇願した結果出た追加命令であって、実質的再建命令は3回目の時です。よって、起算点は紀元前457年で相違ありません。

 

起算点が分かり、ダニエル書に話を戻しますが、紀元前457年から490年経つまでに何が起こったのか確認します。

 

旧約聖書 ダニエル書 九章二十四節~二十七節(拙訳)

お前の民と聖なる都に対して七十週が決定されてる。律法違犯の罪を終わらせ、あらゆる罪を封じ、不義を償う。とこしえの義をもたらし、幻と預言者を封じる。最も聖なる者たちに油注ぐために。それ故、知り、悟りなはれ。エルサレムを復興し、再建する命令の発令から救世主の君まで七週あり、また、六十二週あって苦難の時に広場と掘は再建される。六十二週の後、救世主は殺され、何も無い。そして、都と聖所は来る支配者の民によって破壊される。また、その終わりには洪水があり、戦争の終結まで荒廃させられることは決定されてる。彼は一週の間、多くの者と契約を固め、半週で犠牲と供物をやめさせる。また、ぞっとする嫌悪すべきものらが極みに至る。そして、決定されてる破滅が忌まわしい者に注がれる。

 

起算点は上述のとおり、紀元前457年です。そこから7週、即ち、49年間はエズラやネヘミヤによってエルサレム再建が行われました。ここまでで紀元前408年です。そこから、62週、即ち、434年経つと27年になります。単純計算すると27年ではなく、26年と思われそうですが、そのように考える人は紀元前から紀元後の切り替わりを忘れています。紀元後の最初は元年、即ち、1年から始まるのであって、0年から始まるのではないため、27年で正解です。この27年は、主イエス・キリストが洗礼者ヨハネから洗礼を受けて公生涯が始まった年です。それを裏付けるのが、上記九章二十五節の「救世主の君」というんはイエス・キリストを指し、九章二十六節の「六十二週の後、救世主は殺され、何も無い。」というのが、主イエスが十字架でユダヤ人らの妬みや憎悪とローマ人総督のピラトによって死刑にされて殺されたことを指す。主イエスはダニエル書の内容を知ってはったさかい、預言通りに罪と不義の贖いのため、義をもたらすため、新しい契約の仲介者となるために十字架刑を受忍しはったんです。二十七節の「半週」というのは、三年半や。主イエスが洗礼を受けられて公生涯を開始しはった二十七年から三年半後というのは三十一年頃や。この時が、十字架の時であり、過去記事「安息日の重要性とモーセの律法」で述べたとおり、動物の犠牲制度が廃止されたんや。主イエスの流した血の贖いによって、焼き尽くす献げ物を廃止したということです。これは以下の聖書にも記載があります。

 

新約聖書 ヘブライ人への手紙 10章12節(私訳)

しかし、キリストは永遠に罪のために唯一のいけにえを献げた後、神の右の座に着きました。

 

新約聖書 ヘブライ人への手紙 10章18節(私訳)

さらに罪と不法の赦しがあり、罪のための供え物はもはやありません。

 

このように旧約聖書と新約聖書の記述が見事に一致しているのが分かります。上述の31年に主イエスが十字架で亡くなられたことは、私が過去記事「最近の周囲の様子と大半の人々が陥る罠」でイエスの十字架は旧約聖書で預言されたことが実現するためと申したのはこの理由です。31年に主イエスが十字架で亡くなられた3日後に復活し、昇天されてから3年半後、ユダヤ人に福音伝道や説教をしていたステファノが殉教しました(使徒言行録6:54~60)。ステファノがキリスト教における最初の殉教者です。その時から、聖書の福音がユダヤ人を離れて、異邦人伝道が始まりました。これは、上述したとおり、ユダヤ人のための恩恵期間である70週(490年)の終焉です。

 

新約聖書 マタイによる福音書 24章15~16節(私訳)

「だからあなたがたは預言者ダニエルの言った荒らす憎むべきものが聖なる場所に立つのを見たらー読者は悟れー、そのとき、ユダヤにいる人々は山々に逃げなさい。」

 

新約聖書 ルカによる福音書 21章20~21節(私訳)

エルサレムが軍隊に囲まれるのを見たら、その荒廃が近いことを悟りなさい。その時、ユダヤにいる人々は山々に逃げなさい。都の中にいる人々は、そこから立ち退きなさい。」

 

上記のとおり、ダニエル書と繋がっており、66年から始まったユダヤ人とローマ帝国の間で起こったユダヤ戦争、そして、70年のエルサレム陥落のことです。この戦争でエルサレムの都と神殿が破壊されたとダニエル書9:26に書かれているのです。当時、ローマ軍が近づいて来た時、主イエスが仰ったことを覚えていて、御言葉どおり忠実に山に避難した人々は無事だったことでしょう。それでも信じなかった人はローマ軍に殺されたり、捕虜にされたのです。

 

上述で説明したものをまとめたものを図として作成しましたので、よく覚えておいてください。

 

上述したAmir Tsarfatiについては、過去記事「携挙の真実」で私が聖書をもって虚偽を教えていると証明したとおり、カトリックが生んだイエズス会が提唱した、ダニエル書9章の半週の3年半を終末の時代に突然出現する独裁者を反キリストとして解釈し、それを教え広めているのです。しかし、ダニエル書9章は過去と未来のことを示すものです。ここでは過去のことについて説明しています。この歴史的事実を無視し、未来のことだけのように解釈することは、遠回しにダニエル書9章で言っているメシアである主イエスのことを反キリストの独裁者と言っていることになります。はっきりそう言わなくても、そう言っていることと同じなのです。過去記事「共謀罪、刑事手続、反キリストと新世界秩序、RAPT教というカルト」で大艱難は7年ではないと申したとおりです。しかし、世のにわかクリスチャンたちは、このイエズス会の誤った主張を支持し、固く信じています。イエズス会は、ダニエル書9:27の1週(7年)を遠い未来に据えて7年の大艱難と決めつけ、62週と1週の間に2000年以上の空白期間を勝手に作りました。そして、最後の1週(7年)の大艱難前に主イエスが空中再臨して、秘密携挙が起こり、大艱難後にも再臨するという二段階再臨説という空想小説レフトビハインドにまで発展し、にわかクリスチャンたちはその内容を真に受けています。はっきり言っておきますが、2回もキリストが再臨するなどと聖書のどこにも記載がありません。このイエズス会に起源を持つ誤ったダニエル書の70週預言の解釈も図にまとめてみました。上図と比較して、おかしいことに気付いてください。

 

カトリックやイエズス会だけでなく、現代のプロテスタントも誤った解釈を教え広めています。これは、私が再三宣べ伝えてきた、最も強力な反キリストがローマ教皇であるという事実を隠しているようなものです。そんな状態なのに、「主よ、主よ」と口先だけの信仰をして、自分たちは救われていて近々携挙される予定と根拠の無い自信を持っているにわかクリスチャンたちを見ていると、まったく呆れます。にわかクリスチャンたちは、未来に突然出現する偽りの反キリストを想像し、艱難も逃れられると勘違いしているので、とんでもなく霊的にもろい状態になっています。サタンは、人々を神の御言葉が詰まった聖書よりも、偽りを言う人間の言うことに注意を向けさせるように働いています。だから、多くのにわかクリスチャンが偽預言者、偽教師、偽善者、世の教会の牧師たちを指導者として頼って耳を傾けるのです。神との個人的な関係を築くことなしに、救いはあり得ません。このことも過去記事「真のクリスチャンになる道」と「安息日の重要性とモーセの律法」で申しました。過去記事「最近の周囲の様子と大半の人々が陥る罠」に寄せられた元RAPT信者からのコメントで発覚したことですが、偽預言者RAPTは、イエスが十字架以外にも道があったと言ったようです。これが虚偽であることも、私が上述のとおり聖書をもって立証しました。イエスの運命のみならず、十字架の意味もまったく違うものに曲解する偽預言者RAPTは、太陽神崇拝者(サタン崇拝者)であり、反キリストでもあるカルト宗教であるRAPT教の教祖です。そして、それに従うRAPT信者も反キリストのカルト集団です。絶対に彼らと関わらないようにしてください。RAPTの2017年7月3日付の記事に大々的に太陽の画像を貼り付けています。私に、過去記事でRAPTが太陽神崇拝者と正体を暴かれて、もはや隠さず、私に暗に反論することもなくなりました。もっとも、最初からRAPTやRAPT信者たちが私に反論できる余地など全く無いのです。また、2017年7月1日付の記事で、偽預言者RAPTは、RAPT信者の愛媛への移住者審査をしており、心のきれいで純粋な者だけを集めるとも言っており、完全にカルト宗教の麻原彰晃を教祖とする「オウム真理教」や千石剛賢を教祖とする「イエスの方舟」と同じ道を歩んでいます。それらのカルト宗教は、家族を捨てさせて信者に集団生活をさせていたのは周知の事実です。オウムはキリスト教とは無縁ですが、「イエスの方舟」なる存在を最近知り、その団体について調べると、それはキリスト教を装っていて、その教祖も教会を設立していたと知ってRAPTと同じだと思いました。この宗教団体については参考までにこちら(Wide-Thick)。いかに、彼らが危ない道を進んでいるかお分かりいただけたと思います。

 

さて、兄弟たち、日本において、共謀罪施行が1週間後に迫ってきました。私が、複数の過去記事で、共謀罪や政府や警察の監視、盗聴について記事にしたので、共謀罪に恐れをなす人は、ブログ等のSNSを一切やめる人もいるでしょう。前回記事「日本の将来と真のクリスチャンの姿勢」において、日本に未来は無いという話や、一人で内心こっそり信仰を保てば大丈夫と保身ばかり考えている者も臆病者に過ぎず、不信仰の者と同じ扱いということを再度強調しておきます。終わりの時代にあって、未だかつてない程に世の多くの人々が偽預言者、偽教師、偽善者たちを通してサタンに惑わされ、聖書の真理から遠のいています。このような状況だからこそ、私は彼らになびくことなく、こうして聖書の真理を宣べ伝えているのです。あなたが兄弟と本当に自負するなら、聖書福音を宣べ伝えなさい。あなたが現時点で自信が無くても、私が宣べ伝えてきた範囲においては正しい理解が出来ているはずです。世の大半がするような嘘の伝道はいけません。イエスの仲間であると公に言い表しなさい。そうでないと、後であなたは主イエスから知らないと言われるのです。私のメッセージをどれ程の人が真剣に聞き入れ、実際に行動に移しているでしょうか。私は、ほぼいないと思っています。いたとしても、片手で数えられる程でしょう。それ程、あなたがたの心は頑なになっているか、臆病のあまり行動できないでいるのです。過去記事「今後の社会情勢と神の裁きへの備え」で、時を知りなさいと教えました。「後でいいや。」、「明日から行動する。」と後回しにする余裕はあなたがたにはありません。何故優先順位を間違えるのでしょうか。聖書の真理よりも、世俗的な事を優先するのは何故でしょうか。それは、あなたが世に属する人間だからです。あなたがたが行動できないのが神の御心ならば、私は何も異議はありません。私は、私にできる限りのことをしました。

 

今後は、私が聖書の真理を今までどおり宣べ伝えることもサタンに妨害されて出来なくなる可能性もあります。なぜなら、真のクリスチャンは迫害の運命にあるからです。それでも主イエスが私を守られ、伝道することが許容される間は、引き続き聖書の真理を宣べ伝え続けます。

 

私は一人でも多くの人が救われることを願っています。


以上