翁のインタビュー | 幸福学

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社会学、心理学、宗教学などの、あらゆる学問を参照しつつ、個々人の幸福の在り方について考察していきます。

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合氣道開祖、植芝盛平翁のインタビューを紹介します。


記者:先生はお幾つになられたのですか。

翁:皆一般のはな、八十という。皆さん方だと、八十五、六か、とこういうでしょう。けどね、まあ八十の若いほうとっといて、八十でええんじゃないかと今いうてるんじゃな。そのくらいにしといてください(笑)。

記者:実際におやりになるのを拝見致しましたけれども、ずいぶんお元気でございますね。悪いところなどございませんか。

翁:もう稽古になったら悪いの忘れてしまう。そのあいだはえらいですよ、年を取ってるからな。
けども道場に立ったら、人の前に立った折には、普通の植芝でのうて、自分でも年寄りでなくなってしまうんですな。

記者:やはり合氣道のお陰なんでしょうかね。

翁:そりゃ、合氣道ほど健康なものはないですよ。これほどの健康法はない。日本人は、戸毎にこれを行うべきです。つまり家々に、これは至宝として行うべきものです。それをこのじじいが私せんとしたり、あるいは謝礼取ったり、お礼を貰って教えに行くものではない。日本国全体に対してご奉公すべきところの技です。何故なれば、この合氣道とうものは、人類上の自己大成の道です。自己大成の道ですよ。

記者:いつ頃から合氣道という言葉をお使いになりましたか。

翁:合氣道というのは戦後です。大東亜戦が終わって、わし再びもうこういうことはせまいといって、山へ入ってしもうたんや、隠居してな。体もいっぺんに悪くなってな。大変な大病やって、自分の体、力も昔の力はないから、やめておこうと思いましてな。もとはね、体力では自信があった。だからどんなもんの前に立ってもね、体力だけは絶対に負けなんだな。百五十貫ぐらい担げたからな、一時は。裸になったら瘤だらけだった。今も十五、六貫はあるでしょう。まだこんな体躯しとる。それはな、瘤だらけやったけど、その瘤がすっと取れてしまって、今は本当に優しい女みたいな体ですよ。そりゃもう、ほれぼれするような体や、裸になったらな。

記者:合氣道と言う言葉は、どういうところからお付けになったのでございますか。

翁:付けたんじゃない。国のこれは至宝やからな、個人が勝手に付けるものじゃない。そこでほっといたらやな、文部省の中村光太郎さんのほうから、合氣道としたらどうだなという相談があった。で、むこうから合氣道とせよということだった。結構な話やから合氣道にしようと、こういうことや。

 その後ですね、付けたものの合氣道について、少し自分でも調べてみなあいけない。今日までの武道は、これ魄(はく)の武道や。物の霊は魄と、こういうんです。魂魄(こんぱく)の魄(はく)です。
あの人は魄力があるから偉いと、こういう。

 その魄力の世界は、偉くないのや実はな、魂(こん)の世界じゃなきゃ、魂(たましい)の世界が
出てこなきゃ。いやしくも日本の国は精神の王国である。しかるに魄ばかりじゃいかん。魄は物です。物の霊は魄という。肉体は物質です。この間に、魄という物質に添うたところの霊があった。
それで二つ相寄って「力」というのができる。この力を魄力と、こういうた。魄力は寿命が短いですよ。魂力は反対です。魂力も魂も魂(たま)の緒もひとつです。

 何故植芝のじじいがそういうことをいうのか、意図があります。この世界はな一人の創り主によって創られた。最後に人が創られた、そうでしょう。

 人類発生の端緒(たんしょ)というものは、日本においてはやな、五男三女神をもって骨子としている。近江の国に歴然と、今なお痕跡を残しておる。それで、この自分自身は、霊と言うものの、創り主の直霊である。すなわち直なる別(分)御霊である。これを宗教家は「本守護神」と呼ぶ。これが自分なのです。この肉体の(‥不明)と霊と魄との間において、自分自身というものを磨いていくんです。むろん、この肉体のおこる六根という、六根清浄というでしょ。
 その六根を磨いた上に自分を乗せるでしょ。それでこれを畑とし、これを神籬(ひもろぎ)とし、これを磐境(いわさか)とし、地場(じば)として、修行の道場として、自分自身がこの上で修行する。この植芝も共にひとつになって修行できた暁に起こる伊都能売(いずのめ)の御霊(みたま)とこうなるんです。本当の大和魂の力をだすのです。

 そうなったら全大宇宙を今度は地場とし、磐境とし、修行の道場として、大宇宙へ溶け込んでしまう。大宇宙と自分はひとつになってしまう。それでこそ、初めて人生があるのです。

翁:そうなる修行がどういうことかというと、合氣道がいちばん近い道です。合氣道によって自分自身というもの、全大宇宙をどういうふうにして育てあげるか。
すなわちこの全大宇宙というものは、創り主の一人の神の情動の表れや。この明るい世、営みの世界、ことごとく一人の神の情動の表れや。例え、天津国(あまつくに)八百万(やおろず)あり、全ての山河草木万有愛といえどもやな、みなひとつの動きによって御心の御姿、御心の表れじゃ。その情動の表れ方がこの姿を表しているんじゃ。
宇宙建国の大精神の大成に向かって誘うんや。これを禊という。禊法。そこで合氣道は小門(おど)の禊、小門の神業だという。那岐(なぎ)那美(なみ)二尊が大八州(おおやしま)を産みなしたもう、すなわち島産、神産をやって成し遂げられた、その小門の神業こそ合氣道です。

 今までの武道を捨てるんではないですよ。あらゆる武道を遍歴しましたけれど、遍歴したところの今日までの博学とか、立派な偉い賢(剣)聖諸君のお陰でできあがった。これを土台として、本当に真の日本の武道をこの上に自立させなきゃいかん。すなわち、今いう通り、魂の花を咲かし、人生における意義ある日本を育てなきゃいかん。
使命の実ですよ。天の使命の実を結ばすことが、そもそもの合氣道の行く道である。

 これは天地(あめつち)のやな、氣をやな、天地の息を人が頂いて、頂いた人の息において世の営みをしていかなければならない。皆そう、政治にとっても先生方でも同じことですよ、みんなな。天地の息、どなたも頂いて、その息において全ての自分の仕事を成し遂げていく、その通りに合氣道はやらなきゃならん。

記者:それで結局、合氣道というのは、攻撃する武道じゃないということになるわけですか。

翁:あのね、攻撃も何も愛の武術やから、皆ひとつに生まれている。全世界は一軒の家。

 他人っていうものは一人もいない。皆、世界中ことごとく家族である。じゃからこのじじいは、家族の一人としておつとめしている。

 大地の呼吸と天の呼吸というのは何かというと、赤玉と白玉。潮盈珠(しおみちのたま)潮乾珠(しおひのたま)。潮盈珠とはやな、豊玉琵売(とよたまひめ)の尊命のこと。潮乾珠とは、玉依琵売(たまよいひめ)のこと。すなわち日本における大国王陛下のその御世のこと。呼吸(いき)のことやな。これは竜宮界の仕事じゃありません。これがその地の呼吸です。地の呼吸は天の呼吸となくしては動きません。天の呼吸が舞い下がって、天地の交流において、初めて事がなしおるんや。

 天の呼吸は日月である。日月の息と、潮の満ち引き、この二つによってこれを合氣道。つまり宇宙の氣、森羅万象、全てのものの万有のア・ウンの氣を連ね貫いて、息吹して愛撫することに、一端のご奉公をするのが、すなわちこの合氣道である。

 合氣道こそやな、全てのものの完成の道に対してご奉公をする。ただ、ちゃんばらじゃありません。ちゃんばらは体と体、物と物との摩り合う響きにおいて、ついに冷戦やむなきに至る。それやから日本の国の歴史、地理をよく考えなきゃいかん。歴史には、日本の国の戦術をことごとく述べている本がある。この古典という。「古事記」、あるいは古事文(ふることぶみ)なんかはみなそうです。

 ことごとく皆さんが嫌がるけれども、いやでも応でも皇祖皇宗の御遺訓そのものが戦術である。何故この戦術においてか。もうすでに地上の争いは古くなっている。これは空の氣の上になってた。氣の戦術を行なわなけりゃいかん。すなわち合氣の精神。今までは、体一方でいった個体の世界。ところが今度は、あるいは柔体の域に入り、あるいは液体の域に、あるいは氣体の域に。

 私のは氣体の域から始まっている。そういうことです。氣でもって倒すんや。何も手を触って倒すんでないんですよ。
氣でもってひっくり返るようになっとる。何故か自分の心の思うように相手を導いている。昨日の相手はここに座っとる。相手はやな。こうしよう。ああしようと型じゃありませんよ。

 型こしらえると思うようにいかんよ、その折、その折にやっていくんです。武術と言うものは、型こしらえてやるべきじゃない。その折、その折にできている。万有万神の条理を明示するところの祭政一致の本義そのものこそ、この合氣道の基になる。あらゆる万有万神の条理を明らかに示すところの祭政一致の本義がある。

 これは大なる民主主義ですよ。よろしいかな。先生方は、こんなこというと嫌がるけど、決して嫌がっちゃいけませんよ。これはね、皆さん、日本の国の地理歴史を知らず、自分自身というものを忘れているからこういうことになる。

 自分自身の中を振り返って、本当の心眼をもって、自分の身体を眺めて頂ければ、その悟りにおいて、ことごとく神世からの歴史が、ことごとく血の中に流れているんですよ。身の内にあるんです。数百億万年の昔も未来もやな、現在その自己の身の内に、一代の内に営んでいるんや。決議の決行や。この全てをたぎる体内の全ての操作、ことごとくこれは神世の歴史をものがたるものです。これが合氣。

 要するに、一口にいうたら、まあ皆世界を和合させてやな、仲良くいって、この地上に楽土の建設こそ合氣道の主眼だから、まあ仲よくしようやないかとこういうんだ。だから、敵はいない。無抵抗主義になってくるわけです。けれど、無抵抗主義の中に潜んでいるものは、大なる抵抗主義ですよ。みんなをゆうこと聞かして、一軒、一軒残らずこれを行なわして、本当に日本のこりゃええことを植芝のじじいが教えてくれた、本当に有難いと喜んでもらってこそ、植芝の価値があるんです。どうぞそのつもりで、ひとつお願い致します。