外野から色々言われる人って
客観性が足りないんだと思う
自分を客観視することができない
本人はなんで?とか、べつに気にしないし…って思ってるかもしれないけど
そういう人は
自分がしていて気持ちいいこと、楽しいことを追求するから
普通の人よりストレスはたまらないかもしれないけど
周りからいろいろ言われるよね。
多分
身近にもこういう人いるけど
自分がいて心地いいと感じる人としか付き合ってない、そういう場所にしか出向かないから、いつまでも客観性が鍛えられない
たとえば同僚とか、同年代の友達とか、地元の友達とか、彼氏・彼女とか
家族も耳が痛い助言をしてくれなかったりね
で、自分が助けがほしい時だけ寄ってくるという。
逆に、自分を客観視出来すぎる人って、鬱になったりとか気真面目すぎて精神が疲れちゃうんだよね。
何事もバランスだと思う。
あたしはまったく違う理由で過去に鬱っぽくなったけど
(気になる方は、NZから帰ってきたあたりの07年の事を書いてる記事を読んでみてください。
見えないって言われるけど根は真面目だよw)
精神的な拠り所って、「人」にしといたほうがいいんじゃないかなぁって思うんだよね。
宗教とか、神様だと、対話のつもりが「きっと神様が、神様は」って希望や願望が妄想になったり
それが積もりに積もって信仰心になる、としか思えないし
(大学時代の留学生の友達が、急にキリスト教徒になったんだけど、単純で素直な子だから、そんな風にしか見えないんだよね。
まぁそれだけ疑いなくまっすぐな心に育ったというのはとってもいいことだと思うんだけど
悪者は悪者の顔してやってこない。その心を食い物にする存在もいるってことを知っていてほしいけど。)
あと、スピリチュアル、占いも。信じて行動あるのみ、でしょ?
ここはヒーリングスポットなんだ、とか、これが心を浄化するから、とか。
誰も応えてくれないじゃん。
信じれば叶う、とか、ウソとは言わないけど死語だと思うんだよね。
私は自分が信頼する人と対話できて、信頼関係を築けたり、会って話ができるほうがずっといい
それが心の拠り所だし、そうして身近な人を大切にできるから、精神世界への傾倒は、ないなぁと思っている。
改めて
いつもブログを覗いてくれる、メッセージをくれるブロガー仲間のみなさん、どうもありがとう。
皆さんに出会ってブログを書くのがおもしろくなったし、覗きに行くのもまた楽しいです^^ 怖がらずに、ここでまた絡んでくださいw
いつも会えるわけじゃないけど、こっちの友達、離れてるけど読んでくれる友達も、どうもありがとう。
月並みだけどすごく支えられてるなって感じます。
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