がれきマラソン(書きかけ) | 人生はクローズアップでみれば悲劇 ロングショットで見れば喜劇 

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がれきマラソン。


がれきの間をマラソンしようという試みだが


きっと主催者は被災地を元気づけるためのアイデアだったのだと思う。

それがツイッター上では非難の嵐。


あたしは、賛成・反対以前に

世間にどう受け取られたかで、その活動に白黒が簡単につく状況 っていうのを傍観している


がれきマラソン、ネーミングセンスもなかったのかもしれない。

いろんな考え方があって、べつに批判するほどでもないと思うんだぁ。
根っこは被災地を復興させたい、って思いがあるんだからさ。 走りたい人は走ればよくない?



震災後から

いろんな社会現象や政治、被災地のことに関心を持ち、意見をネット上に載せる人・ツイートする人が増えたなと思うけど

これも一時的なこと?のような気がするし


言うだけ言ったらすっきりして、震災の話題も落ち着いたらすーっと忘れていくというか、またいつもの状態に戻る人もいるかもしれないし


なんか、やたら賛成!とか反対!って意識だけでツイートあげてる人って、そこで落ち着いてるような気がしてしまうんだよね




がれきマラソン 主催者のことば↓ 以下略


我々は更なる活動として、こうした現地でしか知りえない事実を自分たちの手で伝えてゆこうと考え立ちました。
そして日本中は勿論、世界中からも石巻の災害と現状に関心がある人々を現地に招待し、来て頂いた方々のその「目」でありのままを見てもらうことにしよう!と考えたのでした。

ドブ掃除、あるいは床下のヘドロ出しはじめ、活動いただける領域は数え切れないほどあります。でもそんなハードワークをするだけでなくて良いんです。
「マラソンでいいじゃないか!」と私は考えたのです。「楽しみながらマラソンをしてもらい、結果として石巻の惨状を知ってもらえれば、それでいい」と考えたわけです。
マラソン「だけ」を目的として走ったとしても、石巻に来れば「瓦礫」の爪あとや倒壊寸前の家屋が放置されたままであること、また漁港までドライブをすれば魚介類の腐敗臭をすさまじさを、
あるいは、ちょっと車で移動すれば、壊滅した町町の惨状なども、そのの目で見ていただけることができる。「百聞は一見にしかず」です。

私の知人など「石巻市のために、何かをしてあげたいのだけれど、でも、一体何をしていいのか分からないので、どうしても足が一歩前にでないの」と主張する人は事実いっぱいいます。
でも私は思うんですよ・・・、「特別に何かをしなくてもいいんですよ。でも、まず現地石巻に一度来てみるべき」だと。

来てもらって「みなさんの目で」見ることがとても重要なんですよ。瓦礫を見て、炊き出しの列に並んでいる光景を目撃して、可能であれば現地の被災住民と「話をしてみる」べきです。
そうすれば「現状のままでいい」と思う人なんて、一人も存在しないはずです。一人でも多くの人が石巻を訪問し、「ありのまま」を見てくれる。
そして石巻の現状を見た皆さんが、一人一人ジャーナリストとなっていただき、広めていただく。ある人はFacebook、またあるいはツイッターなど。

こうした意識の高い皆さんで構成される草の根の活動こそ、世の中の善良な人々の心を鷲掴みにできるのではないか?

そう思いをめぐらせる中で、この「瓦礫」マラソンを思い立ったのです。




私自身は「瓦礫」の石巻市の中で、今も生活しています。街は今も砂埃が舞い、道路はデコボコのままで車は損傷し、ガラス破片で自転車はパンクをし、倒壊寸前家屋は解体されることもなく放置され、
農地には回収困難な車が放置されたままです。この「ありのままの事実」を、「どうか皆さんにみてもらいたい。いや見てもらうべきだ!」と判断したわけです。
石巻は今でも、「復旧が始まった」などとは、とてもじゃないですが言えない現状にあるのです。

皆さん、自分の力で見にきたいと思いませんか?そして、その「見る」契機が「瓦礫の中を走るマラソン」であっても良いではありませんか!
車を走らせて、コースを視察いただき、町町の様子を視察いただくだけでもボランティア活動だと考えますよ。そこで衝撃を受けたのであれば、その「想い」こそをFacebookやツイッターで言ってくれればいい。
皆さんの「想い」は、ネットを経由して全世界に発信される。そして「瓦礫」マラソン当日も、アスリートとして走りたいという人は「ぜひ走ってほしい」し、「走れない」という人は土嚢袋を担いで、
路上の空き缶、ゴミ拾いをしながら、のんびりと石巻の風景を楽しみながら歩いてもらえたらいい。

とにかく「現場に来ること」、そして「見ること」「感じること」「匂いを嗅ぐこと」から全ては始まるのです。来れば「何かが見えてくる」からです。
見てから、皆さん一人一人が「何をしたらいいのか」をご判断いただきたい。

何度も言いますが、そのキッカケが「瓦礫」の中を走るマラソンでもいいと考えるんです。
そして敢えて「瓦礫」という冠をつけた理由は、私たちが今でも「瓦礫」の中で生活しているというか「生きている」からです。例えば「石巻ベイサイド・マラソン」という名称であれば、批判を「回避」できるかもしれません。
でもそんなお為ごかしは「やめたほうがいい」と私は考えるんです。真実は、私たちは未だ「瓦礫」の中で生きているのだから。その真実を世界中の人々に「認識」してもらうために「瓦礫マラソン」という名称を採用したのです。
「真実をみるべきだ」というのが私の意見です。