2018年のお話です。

 

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今年のお盆休みは平家の落人の里と言われるところに行ってきました。

というのは行ってから知ったのですけれど、

関西から西は自然と平家系のお話になりますね。

 

私が幼稚園まで過ごしたのは平敦盛さんの首塚のある神戸の須磨寺付近です。

震災前にはなかなか風情ある古い建物やお屋敷がたくさんありました。

 

須磨寺の近くには別名武庫離宮とも言われた離宮公園があり、

元々皇室の別荘地でもあり、

その近くには数々の豪邸、

旧財閥系や華族の方々の別荘が建ち並んでいたのです。

 

無人になっていたお屋敷もあったので

幼稚園の幼馴染の男子はよく探検ごっこしていました。

女子は入り口で待っていましたが、

子供心に何もおこりはしないかとヒヤヒヤしていたものです。

 

今は殆どお屋敷はなくなり、

マンションばかりになっています。

須磨寺も入り口は古いままですが中に入ると、

テーマパークのように賑やかな雰囲気に様変わりしていました。

 

さて平家の落人の里を訪ねましたらば、

幼い頃の夢か真か、

を思い出しました。

 

前にもブログに書いたかもしれません。

 

須磨寺から少し離れた所に須磨浦公園があります。

その方面では源平合戦の一ノ谷の戦いがありました。

 

源義経さんが馬でかけおりたことで有名ですが、

平家は負けます。

そして平家の大将だった齢16くらいの平敦盛さんが最後に笛を吹き、

その後首をはねられ、

その首を洗った池が須磨寺にあります。

 

楠公さんと親しまれる楠正成さんは敦盛さんの最後に関わっていたのですが、

こんな若い武将の命をと泣く泣く頂き、

後に隠居されます。

 

神戸の湊川神社は楠公さんをお祀りしています。

 

小学校で初めて授業で平家物語の一節を学んだ時、

涙が止まりませんでした。

 

「祇園精舎の鐘の声、

諸行無常の響きあり、

沙羅双樹の花の色、

盛者必衰の理をあらわす」

 

今もずっと頭にあり続ける平家物語の最初の部分。

人間の摂理みたいなものを今もなお示してくれていますね。

 

古戦場跡は各地にあります。

敏感な方はあまり行かない方が良いです、

となると殆どの場所が古戦場になってしまいますけれど。

 

幼稚園まで過ごした須磨寺の家では夜になると

よく真っ赤なお化けが見えていました。

襖にいっぱい見えるのです。

 

「赤いお化けがいるよ」

 

そう母に伝えるのですが全く相手にされず。

 

今となれば、

平家の旗はでしたから、

そういうことかと勝手に理解しています。

 

それと関係ないかもしれませんが、

須磨寺の山陽電車の線路近くで

「あんころ石」

と勝手に名付けていた、

餡子がはみでたように見えるお餅そっくりな石がちょこちょこみつかり、

ひろってはままごとに使っていました。

 

その「あんころ石」に関係するような逸話を

昔聞いた気がするのですけれど、

はっきり思い出せません。

 

民俗学になるかと思いますが、

平家の落人の里に行って、

ふっと思い出した子供の頃の記憶。

 

懐かしさと不思議な感覚を呼び覚ましてくれた旅になりました。

 

旅のお話もまたの機会に。

 



大歩危小歩危、良き所です。