旧デラウェア・ラカワンナ&ウェスタン鉄道  ホーボーケンターミナル 現在はニュージャージートランジットが運行

 

ニューヨーク観光で皆さんが必ず立ち寄られる人気スポットの「自由の女神」。ここを訪れるフェリーからニュージャージー側に見える「LACKAWANNA」の看板が掲げられた建物が見えます。今回はこの建物について説明してみたいと思います(なお写真は少し古くて2016年撮影です)。

 

ニューヨーク市の鉄道ターミナルのうちマンハッタンにあるものは以前にご紹介したグランドセントラル(GCT)とペンステーションとなります。マンハッタンはご承知の通り「島」のため、鉄道でマンハッタンにたどり着こうとすると東はイーストリバー、西はハドソン川に阻まれており、北方のハーレム方面を除けば橋かトンネルを渡らなくてはなりません(北も厳密にいえば橋があります)。

 

ホーボーケンターミナルから見たマンハッタン

 

そのため北方から鉄道網を伸ばしたニューヨーク・セントラル鉄道を除くと、20世紀初頭にイーストリバー・ハドソン川にトンネルを掘削したペンシルバニア鉄道が開通するまで、両河岸には鉄道会社のターミナルが数多く所在、マンハッタン島各所をめぐるフェリーがひっきりなしに出ていました。

 

 

マンハッタンのハドソン川をはさんだニュージャージー側には6つの鉄道会社ターミナルが林立していましたが、ペンシルバニア鉄道がトンネルを開通させ、道路トンネルやPARHと呼ばれる地下鉄道が開通すると交通の利便性は著しく改善、川岸の鉄道ターミナルは目的を失っていきました。その中で唯一現在も鉄道の運行が続けられているのが、ホーボーケンターミナル(Hoboken terminal)です(ちなみにもう一つ、CNJのジャージーシティーターミナルはターミナルの建物だけが保存されており、鉄道営業は存続していません)

 

ちなみにマンハッタンへの進出を唯一果たしたペンシルバニア鉄道のペンステーションについては以前こちらでまとめました。

 

 

 

 

ホーボーケンターミナルはもともと19世紀後半にマンハッタンとニュージャージーの鉄道とフェリーを結ぶ交通結節点として開通、その後デラウェア・ラカワンナ&ウェスタン鉄道(DL&W)が開通させた鉄道を支配下に置き、現在のターミナルを20世紀初頭に完成させました。

 

現在のターミナル内部の様子。ニュージャージー北部に向かう列車が数多く出入りします

 

待合室は荘厳な感じ。現在は閑散としていますがかつてはマンハッタンへのフェリーや長距離列車を待つ人でにぎわったことでしょう

 

デラウェア・ラカワンナ&ウェスタン鉄道は、その名の通りペンシルバニア北東部でとれるアンセラサイト(無煙炭)を運搬するため、アンセラサイト産地の中心であるスクラントン(Scranton)と大消費地であるニューヨークを結ぶ形で建設されました。また、スクラントンから先も無煙炭の別の大消費地であるバッファローやカナダへのアクセスを求める形で北西に路線を伸ばしています。

 

無煙炭が煤煙が少ないことをシンボライズするため、デラウェア・ラカワンナ&ウェスタン鉄道は”Phoebe Snow“というキャラクターを設定、「旅行中汚れませんよ」というアピールをしていました(ちなみに1970年代の歌手で同じ名前の人がいます)。

Phoebe Snowの文字が書かれたデラウェア・ラカワンナ&ウェスタン鉄道の貨車(ペンシルバニア州スクラントンにあるスティームタウンに保存展示)

 

頭端式ホームに据え付けられたニュージャージートランジットのプッシュプル列車

 

デラウェア・ラカワンナ&ウェスタン鉄道はその後無煙炭の衰退、水害などがあり、ほぼ同じ地域で競合していたエリー鉄道の1958年にニュージャージー側ターミナルを統合、その後エリー鉄道と合併したのち、1968年に経営破綻、現在はニュージャージー・トランジット(NJT)がホーボーケンターミナルからの近郊路線を運航しています。2016年に頭端式の駅に列車が突っ込むという事故は記憶に新しいところです。

 

一時運行を取りやめたマンハッタン行のフェリーも1989年に復活、現在もニュージャージーからマンハッタンに出勤する人々を支えています。