日本で暮らして初めて気づいたのは、
本当のカルチャーショックは「物価」でも「電車」でも「言語」でもないということ。

社会が女性の人生をどう支えるか――その“前提”そのものが違う。

中国の農村で育ち、留学まで必死に走り続けてきた私は、
「勉強する・頑張る・競う・もっと強くなる」
という生き方が当たり前だった。

でも、日本の女の子たちは、まったく違う“人生の構え”を持っていた。


01. 未来の話を、こんなにも軽やかに口にするなんて

ある日、日本人の同級生とランチをしていたときのこと。
彼女たちは何気なく、

  • 結婚したら夫の苗字に変える
  • 子どもが生まれたら仕事を辞める
  • 専業主婦になるのもアリ

と、まるで「今夜はカレーにする?うどんにする?」
くらいの気軽さで話していた。

私は黙って固まった。
その“未来への確信”が、あまりにも自然だったから。


02. 彼女たちが見ているのは“幸せ”。 でも私には、母の“現実”がよみがえった

彼女たちが赤ちゃんの写真を見せてくれるとき、
目は純粋な幸福で輝いている。

中には、子どもの可愛さを比べ合うために、
Nano Banana のような加工ツールをサッと開いて、
ウサギ耳をつけたり、柔らかい背景に変えたりして、
SNSに載せる「可愛い一枚」を作る子もいる。
“いいね”が少し増えるだけで、嬉しそうに笑う。

でも、私の脳裏に浮かんだのは――
台所と畑を行き来して倒れそうになっていた母の姿、
腰が痛くても休めなかった近所のおばさん、
家庭のために諦めざるを得なかった夢や尊厳。

同じ赤ちゃんの写真なのに、
彼女たちは“未来”を見て、
私は“犠牲”を見ていた。


03. なぜ環境に恵まれているのに、挑戦しないの?と一瞬思った

「こんなに安定した社会なのに、どうして進まないんだろう?」
「もっと自分の人生を切り開けばいいのに…?」

そう思った瞬間、私はハッとした。

この考え方そのものが、
私の育ってきた環境の“制限” だった。


04. 日本の女性が“あえて頑張らない”のは、退屈ではなく“制度に支えられている余裕”

日本では、

  • 結婚後の退職は理解される
  • 専業主婦は尊重される
  • 税制にも優遇がある
  • 医療や育児のサポートが厚い
  • 世間も家事・育児の役割を肯定的に見る

“退路”が制度として用意されている。

一方、中国の農村では、
少しでも立ち止まれば、簡単に落ちてしまう。

彼女たちの“柔らかさ”は制度が守ってくれるもの。
私たちの“強さ”は、生きるために身についたもの。


05. その日、ようやく悟った。 違うのは“努力の量”ではなく、“支えの大きさ”だ

私は走り続けないといけなかった。
止まれば、戻る場所がないから。

彼女たちは一歩下がることができる。
社会が受け止めてくれるから。

人生の“余裕”は、
個人の能力だけで決まるものではなく、
社会の構造が作り出すものだ。


06. そして私は、ひとつの現実を受け入れた

私は、日本の女の子のように、
未来を“自然に信じる”ことはできない。

人生を既定のレールに預けることもできない。

私の人生は、鞘のない刃のようなものだ。
前に進むしかなく、鋭さを失った瞬間、倒れてしまう。

それは、強いからではない。
強くならざるを得なかった場所から来たからだ。


あなたの社会ではどうですか?

女性には“退路”が用意されていますか?
自由とは、個人の努力から生まれると思いますか?
それとも、制度が生み出すものでしょうか?