不登校の子供をもつ母親 | 学校には行かない

不登校の子供をもつ母親

人はとかく原因を特定したがる。それが、他人事なら余計に映画でも見ているような気分だ。あっちを分解して、こっちを引っ付けて見て、興味本位で原因を探ってみたくなる。そして、大方の場合、その一番の悪玉にあげられるのはやっぱり母親だ。



私は息子が不登校になったことは、聞かれれば自分の思うとおり話したりした。そうすると、親身な人ほど、私を叱咤するし、そうでもない人は激励してくれたりした。そして、叱られようが、アドバイスをしてくれようが、励まされようが、どうにもこうにも状況を変えられない母親の私がいた。


じゃあ、誰にも話したりせーへんかったらええやんか・・・と、思うが、実際、母親である私は家に閉じこもるわけにはいかない。学校の役員もあたれば、他の兄弟もある。時には、息子の事情を汲んでもらいたいときもある。不登校の子供をもつ母親としての自分のあり方が、本当に難しかった。辛いのに泣き喚くことができなかった私は、いつも、にこにこと笑ってすごした。人からは素敵なおかあさんやから大丈夫・・などと言われたりした。



ふざけんな・・・



にこにこしながら、苦しくてたまらなかった。だって、学校へ行けないのは息子なのだ。私がどんなに頑張っても、どんなに努力しても、どんなに泣いてわめいても、または、どんなに明るく振舞っても、そんなことで学校に行けるぐらいなら、不登校になんかなれへんのや。


そして、人々の叱咤激励や励ましのうらっかわには、母親の私への裏に表に真綿のような批判を含んでいる・・と感じて苦しんだ。


そんな、非の打ち所の無い母親なんて、いてるんやろうか。非の打ち所の無い子育てなんかあるんやろうか。


たまたま、子供が学校へいけなくなった。それは、この子の人生の課題、またはテーマであって、これをどう乗り越えるのか、これをどう生き抜くのか、またはどう自分の人生の中におさめるのか・・が生きるということだ。別にそれ以外で子供たちが大人になっていくために直面する問題や課題と大差があるわけではないんや・・と今は思っている。



だけど、今の日本では、学校へ行けない・・・ということは、異常事態なのだろう。人にどんなに思われても平気・・他人の目なんかは気にしない・・というのは綺麗ごとや。