多様性という言葉をなんだか都合よく使ってる連中が多い気がするけど、そもそも都合のいい言葉じゃないし、誰もが生きにくく少しづつダメージを負うことなんだけどなそれ。


1番矛盾してんなと思うのが、自分の考えは多様性で押し通そうとするくせに、相手の意見や考え方や思いは多様性という言葉で殺すこと。


いい例として、親がいい年頃の息子や娘に対して「あんたそろそろ結婚しなさいよ。結婚は幸せなことなんだから。早く孫の顔が見たいわ。」なんて言いますわな。そしたら、「その考え方は古い!今は多様性の時代よ、そんなこと言われたくないし、結婚が幸せと思わない!私は結婚しないの!!」と言い返しますわな。


はいもう矛盾してますよね。あなたの言いたいことは分かりますよ。あなたのその「結婚が幸せとは思わない!結婚しない!」はもちろん尊重されるべきで、否定されるものではありません。ですが多様性を語りたいのならば、親のその意見も否定してはいけないはずですよね。親にとってはそれが幸せなことだという考え方なのです。


多様性に古いも新しいもありません。その意見をあなたが個人的に受け入れられないとしても、相手の考え方を否定してはいけない。と言うのが本来の意味なはず。自分の言われたかないことを、相手の言われたかないことで返しただけ。自分にだけ都合のいい多様性なんてありえない。ということです。


この場合、親のその意見や親心を受け入れないとしても、親の意見を古い!と否定することは多様性に則っているとは言えませんよね。「結婚や子供が幸せ、そういう考え方もあるし、あなたはそう思うのかもしれないけど、私の思う幸せとは違うかな。」とこのようにいうのが筋ですよね。


親も子供が結婚しない!という事実を受け入れられないとしても、「まあいまは結婚や子供が全てではないし、あなたが幸せになれるなら…」ですよね。


まあ比重的には親の心配する気持ちの方がでかいし、孫の顔を見られない方が親の心理的にはキツい気がするけど…理屈じゃありませんものね。


また見たくないものを見なければならないのも多様性ということでしょう。


例えば同性同士のカップルが街中で手を繋いで歩いてるとして、そういうのは気持ち悪いから見たくない。という人も居ますよね。これも多様性なので気持ち悪いと思う意見が否定されることがあってはいけません。ですが、これらの同性同士のカップルの存在を否定されることも絶対にあってもならない。


街中でカップルがイチャイチャしていて、それを見かけて気持ち悪いなこんなとこで。って思うのと同じで、イチャイチャしてる行為、上記の場合もそういう街中においての行為自体が気持ち悪いのであって、どちらもカップルの存在自体を否定するものであってはならない。という事ですね。


それらの意見や存在を受け入れること、受け入れられないことと、存在を黙認すること、否定することは全く別物であると。それを述べることも自由でなはずだし、けどそれらの存在を否定するような言い方はしてはいけないですよね。憲法や法律や公序良俗に反しないものに関しては。これが多様性でしょう。


お互いに言われたかないことを言われるし、見たくないものも見なければならない時がある。それらの存在を受け入れる、受け入れないは本人次第だけども、万物の存在を否定してはならない。


多様性という言葉は誰かが誰かの首を知らない間に絞め、誰もが少しづつ不快な気持ちになって、生きにくい社会になるものだと言うことを理解しないといけないと思う。


まあそんなこと言ってたら、全部がまあまあまあってなるし、なんの議論も論議もできなくなってくるから、多様性って一重にクソだと思うよw


まあ1番いいのは多様性なんて変な言葉を使わず、変な方向性に向かわず、何も理解なんてしなくていいし、する必要もないし、「自分には関係ない、知らんけど。」だね笑