1995年1月17日私は京都にいました。

妊娠8ヶ月3人目の子どもがお腹にいました。

朝方突き上げるような揺れで目をさましました。

 

テレビは、神戸の事ばかりで、近隣の市町村のニュースは、あまり入ってきません。

まさか宝塚もとは、夢にも思いませんでした。

 

テレビは電話を控えるように呼びかけているので、しばらくしてかけましたが、夫の実家へは電話がつながりません。

 

ようやく繋がった電話に出た義父が、

 

柱がいがんどる

 

と言われても、想像ができません。

 

電話は直ぐ切れてしまいました。

 

以前は、夫の実家で同居していたので、近所だった友人の所に電話をしてみました。

家が沢山つぶれて、亡くなった方も。

大変な事になっているよ。

夫に連絡をして、夫はママチャリで4時間かけて実家へ向かいました。

どうにかこうにか建ってはいますが、全壊です。



あの日を経験した人それぞれの思いがあると思います。


妊娠中だったので、直後の惨状を見ていません。

 

夫が、かつて私たち親子が寝ていた寝室を見ると、和箪笥が積み木のように転がっていたそうです。

 



和箪笥は、横についている金具で止めてあるだけなので、3個のタンスに分かれます。

もしかして、この世にいなかったかも。

 

そう思うと、長い間このタンスを見る度に複雑な気持ちになりました。

 

近所の方が、家が建つまで、家財を倉庫に預かってくださいました。

沢山の方にご厚意をいただき助けていただきました。

 

巡り合わせで京都にいたお陰で今日も生きています。

生きているからこそ、また、タンスを開けて着物を楽しむ事ができます。

 

生かされたこの命を、いただいた時間を大切に使おうと、改めて思う1月17日です。