今回のことを戦争にたとえている人がいたが、やはり戦争もこんなかんじなんだろうなと思う。
たとえば、日本の自衛隊とどこかの国が海で交戦をしたり、日本のどこかにどこかの国の軍が侵略する、または、どこかの国に自衛隊が攻撃をかけ、メディアが戦争が始まったと騒ぎ立て、専門家は相手や自衛隊の攻撃力についてあれこれいい、きっと政府に批判した人は、多くの方から批判をネット上で受け、非国民だとなじられるのだろう。きっとティッシュペーパーは買い占めが起きる。最初は、「本当に起きるんだ」と驚くが、自分ができることはせいぜい、ネットのニュースを見て、いつ空爆を受けるのかハラハラし、もし、自分の住んでいる地域が戦場になったらどうしようかと考え、それでもやはり仕事場に行き、同僚といったいどうなるんだろうねと話しながらも、自分にできることをするしかないねと、仕事をする。そんなこんなでどこかの都市が攻撃を受け、交通麻痺が起きたり、何千、何万人という人がなくなる。政治家はいまこそ、国民みんなで力を合わせて戦おうと声を上げ、もちろんサーフィンなんか行けなくなる。戦争は長引き、日常となる。正義感にかられた自警団が街を闊歩し、僕はソーシャルティスタンスじゃなくて、ソーシャルアティテュードに気をつけながら街を歩く。浮かれた顔なんかしてたら非国民だ。いつ、こんな風になったんだろう、と思ってももう戻れないのだ。
少なくともコロナはいつか、数年後、ワクチンが開発されることに期待をかけられる。でも戦争はどうなんだろう。そこに希望はあるのだろうか。