友人のお見舞い

 

午後、チョコスコーンを焼いていたら、

玄関のチャイムが鳴った。


どこから聞いたのか、私が手術して

家で療養中だと聞いた友人が訪ねてきた。


お見舞いだよ、と大根を袋にいっぱい。

彼女の旦那さまが自分の仕事の傍ら、

畑を借りて本格的に作ったものだ。

何よりのお見舞いに、久しぶりに会う

彼女の笑顔が嬉しい。

家に上がってもらって少しの

おしゃべりタイム。

(スコーンも焼けたし)


「手術だって聞いてびっくりしたけど、

なんだー。元気じゃない(笑)」


たしかに、いつもの週末より元気かも。

家事は今最低限しかしてないし。

夕方、子供と宿題をするのしないの

で駆け引きがあるぐらい。


思っていたより予後が良くて、

こんなに楽して来週は通常モードに

戻れるだろうか。そこが心配。



大根をたくさんいただいたので、

実家と義理の伯父に料理の差し入れでも

しよう。

差し入れといっても、特別なものは

持っていかない。


 かぼちゃの煮物

 ひじき炊いたん

 五目煮豆

 小松菜と豚肉のごま和え

 きんぴら

 揚げ出し豆腐

 いわしの梅煮


こんな感じの茶色い惣菜を2、3品と、

近所で時季の生菓子を少し買って、

時々顔を見せに行く。

今回は夫に持っていってもらおう。



パーハッ

以下、義実家と確執系の話があります。

そういう内容を読みたくない方は、

ここでストップしてください。



炒めなますを作る


いや、だから茶色いんだって。

(NO映え万歳。)

見た目は映えなくても、

この料理は我が家の歴史でもある。



今は亡き義理の伯母から教わった
炒めなます。
結婚後、義伯母から教わった
いくつかの郷土の料理の
うちのひと品だ。

義理の伯父母夫婦と私達夫婦は
なぜか気が合った。
よく家に呼ばれて義伯母の手料理を
ごちそうになった。
時には畑を手伝ったり、藪をこざいて
山菜採りに行ったりした。

畑や山から食材を調達するので、
その流れで自然と台所へ立つ。
義伯母は嬉しそうに私に田舎料理を
指南してくれた。

義伯母の子供たちはみんな都会に
出て生活している。
娘さんたちは有名大学を出て、
得意分野でバリキャリ、未婚。
息子さんは起業、奥様も自営で忙しい。
ご夫婦はずっとDINKs。

生き方はいろいろある。
でも今思えば、寂しいって気持ちも
あったのかな。
盆暮れでも家族がそろって集まる
ことはないみたいだった。
私達夫婦の赤ちゃんを早く見たいと、
義伯母が言っていたというのを
何年も経ってから知った。


 大根1本
 ...は、皮をむいたらひたすら千切り。
 またかと言われても千切り。
 最初の薄切りだけスライサーで。
  (画像ボケても気にしない上げる)
 ザルにあけて熱湯を回しかける。
 すぐ水気を絞る。
  (めっちゃ熱いよ)
  (根性で絞るかお玉で押すかする)




一方で、夫家族(義理家族)とは
結婚してすぐに同居したけど、
全くうまくいかず。


夫の親は
夫がだいぶ若い頃に離婚しており、
家を出た父親も離婚後に他界している。
父系の親戚と義母が葬儀で揉めて、
怒り狂う義母を止めに入った夫ごと
会場からたたき出されて以来、
会っていないという。

( ゚д゚)
なかなか、である。

それは私ではどうしようもないし、
それを知っていても、
夫(当時は彼)とお付き合いをする
妨げにはならなかった。
(結婚にあたって覚悟があったかと
言われたらうそになるが)

結婚後にわかったことは、
夫はいわゆる  “毒になる親” 育ちだった
ということだ。


 他の具がでかい。
 干し貝柱は一晩水に浸して戻す。
 戻した汁も使う。
  (今回はたまたま貝柱)
  (いつもは干し椎茸でつくる)
 にんじんは安定の千切り。
 ごぼうはささがき。
  (水にさらしてアク抜き)
 糸こんにゃくをキッチンバサミで
 チョキチョキカット。
  (下茹で推奨)
 さつま揚げは細く切る。
  (油と塩分を切りたいので
   お湯を回しかける)

具は好きなもので。きくらげ、油揚げ、切り昆布、ちくわとかも合う〜。



現在、義家族とは
諸事情(わけ)あって疎遠。


義伯母は時に実妹である義母を諌め、
私達には会うたびに謝ってくれた。

「私にとっては血の繋がった姉妹
 だけど、貴方たちにとっては
 あんな妹で本当に申し訳ないわ。」

義母の性格を世界一知っている
義伯母は、こうならないよう願って、
甥っ子夫婦を心配してくれていた。

しかし、思いを遺して、義伯母は
あっけなく亡くなってしまった。
がんが見つかって
わずか3か月目の訃報だった。

義伯母亡き後、夫の妹たちも絡んで
義理家族との関係は急坂を
転がり落ちるように悪くなった。
心身とも病んだ私に驚き、ようやく
夫が行動に出る。
(遅いよ。おっそいの!)



 鍋 か フライパン 
 ごま油(サラダ油でも)をひいて、
 材料を炒めていく。
  (湯気で見えぬ)
 調味料は、
   貝柱の戻し汁 全部入れちゃえ
   酒 ぐーるり
   みりん ぐーるり
   白だし だばばっ
   醤油  だばばば
 (あれ、調味料計ったことないな)

   ?(~ ̄³ ̄)~マアイイヤ

 最後にお酢をくるり、と。
  (入れすぎ注意)
 煮立たせて酸味を飛ばす。

お酢はちょっとずつ入れて塩梅をみる。煮すぎると大根の歯ごたえがなくなる。



我が家は、
一見のほほんとした核家族。
けど、内情は立派な “訳あり家族”
だと思う。

家族って難しい。
がんばる方向性を間違えると、
あっという間に気持ちは
こんなに離れて拗れる。

そして離れていてもなお、
疎遠という名の縁だけがのこり
宙に浮いている。


ある年の義伯母の命日に、
供え物とこの炒めなますを
持っていった。
義伯父はこのなますを肴に
晩酌するのが好きなのだ。

ひとくち食べて、泣かれてしまった。
まずかったのかうろたえる私に、
義伯父は言う。

「かあさんの味を残してくれて、
 ありがとうね。」

仏壇参りで来ていた
ご近所のおばさんも、炒めなますを
一口つまんだ。

「あらま。△△代さん(義伯母)と
 同じ味だ」
「また食べられてうれしいわー」

そう、目を細めた。

義実家を夫婦で出ていったし
子供も見せてあげられなかったしで、
義伯母には不義理なことをしたと
どこか後ろ暗く思っていたが、
こういう形で恩を返せるとは
思っていなかった。

遺影の義伯母が
すこし笑ったように見えた。


一晩おくと味が馴染むよ。

その後もずっと作っている。
妊娠中は野菜と糸こんにゃくだけで
これを作り、よく食べていた。
今は子供がこれをよくたべる。
(味覚がしぶい)


かつての義実家でのことは
苦い経験であり、
同時に義伯母の優しい気持ちを
受け取った記憶でもある。


今日は友人の心遣いも加わり、
すこし酸っぱくて優しい味が
冬の初めの夜にとけていく。

恩返ししたこと

 真顔

 内容がアレなので

投稿ネタの公式タグは外しました。

 暗い話を読んでくださった方

ありがとうございました。

( ◜‿◝ )♡

 

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