森村誠一さんの本を2冊読みました。


実家から拝借してきたものですが、父が好きなようです。



話は変わりますが、私はドラマや映画を見るときに、


・紆余曲折あった。でもやっぱり予想したとおりこの二人がくっついた。

・人道的でないとても悪い奴が、いい人をいじめている。残酷に。そんな奴が、最後に正義の味方によって苦痛の表情で朽ちる。

・地球滅亡の日が近い。もう終わりだ、というギリギリの局面で頼みの綱である数名の勇者が地球を救う。


そんな、(ベタだけど)すっきりした終わり方を自然と求めてしまうタイプです。


妙な「うらぎり」や「びっくり」は、あまりいらないみたいです。




一方、なぜだか小説には結末にそういうものは求めていません。


読者に委ねたような結末、あまりに不条理な結末、ふわっとした結末…


色々ありますが、作品作品で、楽しみ方を感じられるからだと思います(そもそも小説全体を読んでどう感じたかで、結末は二の次っていうときもあるような気がします)。


だけど、時々あえてそんなものを求めて読んでみたい時もあります。



上記二冊は、「正義が悪をやっつけちゃう」なんてそんな簡単ですっきりしたものではないけれど、


なんとなく小さな爽快感のある読後感でした。


という本を先日読みました。


例えば、何か落ち込んでしまうことがあったときに聴きたい曲はどちらかと問われたとします。


テンションの高い曲であるのか、あるいは、とても暗い曲なのか。


私は、かなりの高い確率で後者を選択します。


私だけではないと思いますが、テンションの高い曲というのは、


「何落ち込んでんだよ!未来は明るいぜ!」

「いつでもポジティブシンキングで笑っていようよ!俺を見てればわかるだろう?さぁ!」


といったような雰囲気が、ある種の“押し付けがましさ”に感じてしまいます。


「陰」であるものを無理やり「陽」にしなければ生きられないわけではなくて、


「陰」の中でまた「陰」を感じ取ることが、それは私にとっての救いになるわけであります。


これは、音楽だけでなく、人間でも、テレビでも、ふとした時に同じようなことを感じます。


そして、本にも。


あまり理解できないかもしれませんが。




中村文則さんの本の中には、たくさんの「陰鬱」があります。


とても好きな作家さんです。


こんばんは。


東野圭吾さんの、「空の上から祈りを」という本を読みました。


大人気作家さんなのですが、なんとなく読んだことなくて今まできてしまいました。


有名すぎるし、めちゃめちゃ作品が出ていてどこから読んでいいのかもわからなかったし、なぜかあまのじゃく魂が出てきた、というのが主な理由だったと思います。


そんな東野圭吾の世界を初体験。


最近購読している「野生時代」に読みきりで短編が載っていて、いい機会に読みました。




とても面白いです。


私はすぐに眠たくなってしまうので通勤中に本を読むのが苦手なのですが、これは面白くてついつい降り過ごしてしまそうになりました。






この本を読んで、


高校生の頃、友人の恋愛相談にのっていて、結構自分本位に適当に応えたことが、


後からすごく感謝されることになった、という良いとも悪いとも言えない出来事をふと思い出しました。





これから遅ればせながら、東野圭吾を読んでいきたいと思います。







関係ありませんが、踊るさんま御殿という番組で最後にさんまが麦茶を飲むのですが、本当においしそうだなといつも思います。