八日目の蝉 / 角田光代



ずーっと土の中にいながら、いざ外に出て生きていられるのは一週間といわれる蝉。


例えば、ほとんどの蝉が本当に七日までしか生きられなくて、


八日目までたまたま生きた蝉はどんな気持ちなんだろう。


みんなと一緒に七日で死んでしまうのが幸せなのか、八日目が実はそれほど嫌ではないものではないのか、或いは、やっぱり本当に見たくないものなのか。




わからないですね。


人間も誰しもがこんな風な「八日目」(と思う気持ち)があるのでしょう。





今年の夏、うるさく鳴いている蝉の声が少し違った風に聞こえるような気が、


しなくもないです。


それにしても、小さな頃喜んでとっていた蝉。


もはや気持ちが悪くて、見ることすら嫌になってしまいました。



東野圭吾作品。



幼稚な言い方ですが、


科学の進歩は、とても夢があります。


人間が宇宙にすむことを考えたり、不治の病が治せたり、


東京大阪間が新幹線で30分で行けたり、


…戦争をなくしたり。


色々考えてしまいます。



だけど、どんなにすばらしい科学も喜ばしいことばかりとは限らないのが世の常です。






脳を操作して過去をすり代えたり、ありもしない事象を「実感」したり。


こんなことは、一見スバラシイ発見なのだろうけど、とてもオソロシイ。






私は、ごく平凡に過ごしてきたと思っているけれど、本当は違うかもしれない。


実は非常に極悪な犯罪を犯してしまい、


ある機密組織によって過去をすりかえられたのかもしれない。


それを知らないのは自分だけかもしれない。


周りのみんなは、「そういう人」として、私に気を使いながら接しているのかもしれない。




大学なんて出ていないかもしれない。


足なんて速くなかったかもしれない。


女だったかもしれない。


もしかして、人を殺してしまっているのかもしれない。





読みながら、こんなことを考えました。


どなたか、ほんとうのことを知っていたら教えていただきませんか?

東野圭吾の「手紙」を読みました。


殺人を犯してしまった兄と、その弟を中心にした話。


加害者側の話でした。



人は殺人か何かのニュースを見たときに、


瞬間的に被害者がかわいそうだなーって思ったり、世の中悪い奴いるんだなーとなんとなく思うくらいではないかと思うのです。


加害者のことを思って「何か殺してしまうくらいの事情があったのではないか…」なんていうふうにはあまり思いません。




しかし、「手紙」を読みながら思うことといえば、


殺人を犯した兄は、家庭状況も悪かったし弟のためにやってしまった…本来はとても頑張り屋さんでいい奴。これで一生を棒にふってしまうのはあまりにも不憫だと、


こんな情状酌量的な考え、あるいは、同情です。


えらいもんで、そんな思いのほうが読みながらの思考を支配していました。




今、裁判員裁判なんてものがありますが、選ばれた裁判員の方は双方の言い分を聞くわけで、


それは今まで私が「極刑が当然」と思ってきたことでも、随分気持ちが揺らぐのだろうなとふと考えました。




私にも兄弟が二人います。


読後、兄弟が犯罪者となること、もしくは、自分が犯罪者となることを考えました。


今まで感じたことがないような、恐怖が押し寄せました。