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私は興福寺が大好きなんだけど。あそこの仏像にしびれていた。

​四天王立像」
多聞天、持国天、増長天、広目天

​今にも歩いてきそう。迫力あるううう​
運慶一族が作ったのかな?​


​明治以後の尊王攘夷、廃仏毀釈で興福寺の

仏像の大多数が薪にされた。

 興福寺だけで二千体以上の歴史を刻んできた仏像が、

破壊されたり、焼かれたりした。

 寺を壊せ、仏像を壊せ、経典を焼け、

坊主を成敗(せいばい)せよ。

 

 仏教文化の破壊活動によって奈良朝以来の

おびただしい数の

貴重な仏像、仏具、寺院が破壊され、

僧侶は激しい弾圧を受け、

還俗(げんぞく)を強制された。

 文化財の破壊という点のみでいえば、

イスラム原理主義者による文化財の破壊より

規模は遥かに大きかったという。

 

 経典は、町方で包装紙として使われ、

五重塔は二十五円

(一説には十円)で売りに出された。

 薪(たきぎ)にするために売りに出された。

 多くの宝物(ほうもつ)が二束三文で町方に出回った。

 

 現在の奈良ホテルや奈良公園は、当時の興福寺の敷地内である。

興福寺と共に我が国四大寺の一つという格式を誇った

内山永久寺はこの世から抹殺されてしまった。

 

 

 岡倉天心は興福寺の仏像修復に精魂を傾けた。

 彼の努力がなかったら、今日私たちは興福寺で

仏像を鑑賞することができない。

​第二次大戦後も。
日本語廃止してフランス語にしよう、、
とか法隆寺壊して駐車場にしようとか
言いだす人がいた。

気が変になっちゃうよ。