長崎キリシタンの反ユダヤ主義 ルシオ・デ・ソウザ著【近世日本におけるポルトガルの奴隷売買」より
大航海時代の南蛮商人の中にイベリア半島を追われた隠れユダヤ教徒がふくまれていた。日本人キリシタンが彼らに示した反ユダヤ主義とは?
16世紀末、ポルトガルでは本国だけでなく植民地でも素性をかくして潜伏する隠れユダヤ教徒を摘発する異端審問が激化していた。
目的は彼らを死刑にして財産を没収することだった。
隠れユダヤ教徒ルイ・ペレスと二人の息子は植民地ゴア、マラッカ、マカオを逃げ回っていたが1587-1588年に長崎にたどりついた。
長崎にはまだ異端審問所は設立されてなかったので彼らのような隠れユダヤ人にとっては絶好の避難所になった。
ペレスは他のポルトガル商人と異なり日本女性を愛人にすることもなく日本人と日本文化に敬意を払うことをおこたらなかった。
そのため当初は日本人から好かれていた。
状況が一変するのは、、
長崎に来航する新来のポルトガル商人が発した言葉。「誰それはユダヤ出自らしい。」
ペレス家は豚肉を食べなかった。これも怪しまれた。
1590年ころの長崎でペレス一家がユダヤ人であることが知れ渡ってしまった。
隠れユダヤ教徒の摘発に情熱を燃やすカトリック教会の異端審問所と異なり
ポルトガル国王政府の立場は複雑だった。
ポルトガルの海外発展のためには隠れユダヤ教徒の財力語学力、海外ネットワークが不可欠であることを認識してた。
日本人キリシタンたちは隠れユダヤ人は許しがたい敵であると敵意をもやしだした。
日本人キリシタンの子供がペレスを「ユダヤユダヤ」とののしりながら追っかけまわしだした。
日本人キリシタンから迫害されだしたのでペレス一家はマニラに逃げた。
ペレスの長男はその後アカプルコに逃げガレー船でメキシコを訪れます。
そこで長崎生まれの日本人奴隷に見つかり
ペレス一家の素性を知る奴隷は地元の異端審問所に通報してしまった。
ルイス・アルメイダ
日本に初めて西洋医学を伝えたルイス・アルメイダ もポルトガルの隠れユダヤ人だった。マラッカ、マカオで商人してたけど殺されたくなくて長崎に逃げたのである。
生糸貿易で稼いだ資材のすべてをカトリック教壇に捧げた。大友宗麟の援助を受け病院を開設。
教団は彼を隠れユダヤと感づいてたが優れた医療技術をもち日本に西洋医学を伝えるアルメイダは貴重だったので摘発はしなかった。隠れユダヤ人の財政的支援がなかったらポルトガルはここまでやれたか。