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​北原 白秋(1885年1月25日 - 1942年11月2日)

最近人の死因が気になって気になって、、。

三木露風と並んで近代日本を代表する詩人北原白秋は。

 

北原家は江戸時代以来栄えた商家海産物問屋で、当時は主に酒造を業としていた。

1897年(明治30年)、福岡県立伝習館中学に進むも2年後成績下落のため落第。

 

1912年姦通罪により告訴され2週間拘留される。姦通相手と結婚するも離婚。父と弟が事業に失敗。破産に追い込まれる。

 

1937年糖尿病と腎臓病から来る眼底出血によって失明。

夕顔を見ようとして顔を近づけたらまつ毛が花に触れてしまった。

嘔吐をくりかえし呼吸困難に陥った白秋は1942年11月2日57で亡くなった。

なんか明日の自分を見るようで震え上がってしまった。

まったく他人事じゃないよ。ぶるぶる、、おおこわ~

​石原慎太郎氏の父上は1951年に脳溢血で51で亡くなっておられるがそれ以前から溢血していた。歩いてて突然めまいに襲われ動けなくなる。

当時、眼底出血が見つかった場合3年以内の命と言われてて、父上はほどなくお亡くなりになった。

藤原道長も糖尿病と眼病に侵され背中に大きな腫物が出来て苦闘のすえ亡くなったとつたえられる。

おおこわ~ぶるぶる~

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「 九十九里の波の遠鳴り日のひかり青葉の村を一人来にけり」

1913年夏。

伊藤左千夫は弱っていた。生まれ育った九十九里浜に帰ってきた。52歳だった。帰って数日後脳出血で亡くなった。
1913年7月30日(48歳没)って書いてあるんだけど。

 

 あの野菊の墓の民子と出逢って引き裂かれた村に。まばゆい光あふれる青葉の中に影のように吸い込まれて行ったのです。民子を想いだしてたでしょう。

九十九里の歌には「り」の字がくりかえし使われてます。
​​​くじゅうくり、波の遠鳴り、日のひかり、ひとり、来にけり​​​​

合計5つ使われてます。りの字を繰り返し連続わざで使うことによって繰り返し打ち寄せる波の音をあらわしてます。

病み衰え ろうそくが消えかかってる作者を 波の音と陽光と青葉が迎えてくれた。

こんなういういしい若葉の季節に去っていかないといけないなんて!

打ち寄せる波の音は永遠の象徴。青葉の村は青春の象徴。自分だけが凋落してゆく秋の木の葉なのが悲しかったでしょう。


◎ 私はなんか悲しい
伊藤左千夫のかなしみが伝わってくる
凋落してゆく身のことが、、、