ハンガリーって人口の割合にノーベル賞受賞者がすごく多い国だという。20世紀を作ったのはハンガリー人ていわれる。

 

 宇宙人が空飛ぶ円盤で舞い降りたかと思うほど宇宙人的賢人が多いという。

 

それもブタペストの同じ町内からぞろぞろ生まれてくるのだという。

 

フランツ・リスト ジョン・フォン・ノイマン バーナンキFRB議長

 

 

 

レオ・シラード、エドワード・テラー ロバート・オッペンハイマー

 

 ユージン・ウィグナー

 

 ロバート・キャパ 奇術王ハリー・フーデイーニ ジョージ・ソロス。テオドール・ヘルツル俳優トニーカーテイス

 

インテルメモリチップ発明したアンドリュー・グローブも宇宙人かもしれない。

ハンガリーのユダヤ系アメリカ人の実業家。インテルの3番目の社員である。

 アンドルー・グローヴ(1936年9月2日 - 2016年3月21日)は、インテル社を創業 会長となった。

 

本来の名前はグローフ・アンドラーシュ・イシュトヴァーン(Gróf András Istvánだが、アメリカへの移民を機に現在の名前に変更した。 

グローブは、ハンガリーのブダペストのユダヤ人中産階級の家庭に生まれる。彼の父は1941年突然消えた。労働奉仕団に駆り出されたまま帰ってこなかった。

ドイツ軍によるユダヤ人狩りの餌食になった。

 

東欧のユダヤ人男子が朝露のように消えてしまうことはしばしば起こった。アンドリューは8歳だったが何か悪い事が起きたことはわかっていた。

 

それ以後ドイツ軍占領下のブタペストでキリスト教徒になりすまして生き延びるのだった。

 

母から「絶対人前でズボン下ろしちゃ駄目よ。人に見られたらユダヤ人てばれてしまう。」

本来の名前はグローフ・アンドラーシュ・イシュトヴァーン(Gróf András Istvánだがアンドラーシュ・マルセビッチという偽名を使い盗んだ書類上でキリスト教徒ということにして辛うじていきのびた。

ユダヤ人であるということを隠してくれた善意の人がいたから生き延びれたのだった。

 

同じく偽造の身分証明書で生き延びたユダヤ難民ジョージ・ソロスと同じだった。

グローブは出自をかくし続けた。


元々はジャーナリスト志望で高校新聞の記者であったが、自分が書いた記事が当時の共産主義政権に批判的内容だったことから親戚が取調べを受けたことに反発し、「言論界に本当の自由は無い。
実力通り能力を発揮できる世界に行きたい」と技術者を目指した。    

 

 

アンドリューの母は金のネックレスを分解して売って金に換え息子に英語の家庭教師をつけた。将来英語が世界中で話されるだろうと予感したのである。お蔭でアメリカ亡命を希望する難民の試験にグローブは英語力でパスすることができた。


ハンガリー動乱 ("1956年革命") の最中、家族を残しながら友人数人と共にオーストリアに脱出し、その後難民支援組織の手によりアメリカに移民。1957年、ニューヨーク市に辿り着き、ブロンクスの親戚の下

に身を寄せる。1958年、妻のエヴァと結婚する。

 

授業料無料でプロレタリアのハーバードといわれるニューヨーク市立大学シティカレッジ に入学、化学工学を学び1960年に首席で卒業。

 

1963年、カリフォルニア大学バークレー校から化学工学の博士号を取得する。 同年、フェアチャイルドセミコンダクターに入社。1968年、ロバート・ノイスとゴードン・ムーアが設立したインテルに3番目の社員として入社。

1979年社長、1987年社長兼CEO、1998年会長兼CEO。2000年、IEEE栄誉賞受賞。 

 

 

 

強烈な個性と訛りの強い英語で議論相手を徹底的に叩きのめすやり方には反発も多いが、産業界では部下の能力を最大限に引き出す「ハイ・アウトプット・マネジメント」として高い評価を得ている。


1990年代にインターネット時代が到来した。

 

グローブは人間の知的欲求にこたえるべくビデオゲームやコンピューターの計算能力をかねそなえたテレビ電話のスマートなシステムを開発している。

 

 グローブは語る。「僕が育った時代ハンガリーで生き延びていくことは簡単でなかった。だからこそ、最先端技術は決して平静にとどまっていることはできない。よいアイデアが浮かんでももっと良いアイデアで挑戦してくるものがすぐあらわれる。競争者がより大きな成功を達成しだす。」

2016年3月21日、インテルにより死去が報じられた。79歳。