https://www.youtube.com/watch?
v=lc6lzP00zbw


数多くのヨットが赤旗を掲げたポチョムキン号を取り囲み食料などを差し入れてくれ、市民と水兵の交歓が続く。
 オデッサの階段からポチョムキン号に手を振ってた群衆に向かって、突然コサック兵が発砲する。逃げ惑う人。両足ない少年がバッタみたいに手で飛んで逃げる。
息子が撃たれ群衆に踏まれ半狂乱の母。石段を転がり落ちる赤ん坊を乗せた乳母車。ポチョムキン号はこの残虐行為に対して艦砲射撃を浴びせた。

オデッサの階段は映画史上に残る名シーンだという。

私は息子が踏まれ傷つくのを見て半狂乱になる母を演じる女優の名演技は映画史上に残ると思う。これくらい迫真の名演技はなかなかできない。

プロパガンダ映画でありながら、映画を芸術の域まで引き上げたとして反共の欧米諸国でも高い評価を受け、渡米したエイゼンシュタインはチャプリンやディズニーなどハリウッドの名士たちとも親交を結んだ。まもなくスターリンが実権を握ると、エイゼンシュタインは苦難の道を歩み始める。数百万人が犠牲になったといわれるスターリンの血の粛清は免れたが、イワン雷帝の独裁と孤独を描いた「イワン雷帝・第二部」(46年)は同じような境遇にいたスターリンの逆鱗にふれ改作を命じられた。その作業中に心臓マヒで亡くなった。享年50才。

スターリンてろくなことしてないな。エイゼンシュタイン早死にさせちゃって。


 戦艦ポチョムキン号の反乱が起きたのは、日本海海戦でバルチック艦隊が壊滅した1ヶ月後の1905年6月27日のことだった。


 日本での公開は戦前の軍国主義下では当然許可されず、戦後のアメリカ占領下でも上映できず、日本で日の目を見たのは1959年(昭和34
セルゲイ・エイゼンシュタイン監督

1898年1月10日 1948年2月11日)は、ラトビアのリガに生まれた。



私はオデッサに興味がある。オデッサに行きたい。だけど行けないからオデッサの階段の動画見てオデッサをしのんでるのです。

ユダヤ民族のことを調べてるとオデッサがさかんに出てくる。アウシュビッツから解放されたユダヤ人がウクライナを通過しオデッサにたどりつきオデッサを観光してから船で故郷に帰った。

レフ・トロツキーが学校時代オデッサ一位の成績だったこと。首席にもかかわらず貧農の息子だったためにオデッサのブルジョアのユダヤ人から「どこの馬の骨ですのん」と馬鹿にされブルジョア嫌いになったこと。この時から打倒ブルジョアめざした。

ボブ・デイランの母がオデッサユダヤ人だった。

ニューヨークにリトルオデッサと呼ばれる地区がある。そこのオデッサユダヤ人の子が猛烈に優秀なこと。オデッサには演劇ユダヤ人が集まっててアメリカにわたり映画を作り始めたこと。

あのオデッサの階段の女優の名演技見ながらオデッサの演劇人のこと考えてた。
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