フランツ・カフカ(1883~1924)はプラハのユダヤ人だけど自分がドイツ人なのかチェコ人なのかユダヤ人なのかよくわからなかった。血統はユダヤ人だけど話すのはドイツ語、住むのはチェコ。いずれも中途半端なのだった。カフカがユダヤ人意識に目覚めるのは東方ユダヤ人と接触してからである。
ロシア領ウクライナ、リトワニア、ポーランド、オーストリア領ガリチア、ブコビナ、トランシルバニアに住むユダヤ人たちは異教徒に囲まれながらイッドイット(゙イデッシュ語でしゃべるから)と蔑まれた。それでもユダヤ人としてのアイデンテイテイーを失わなかった。彼らは本当のユダヤ人だった。
カフカはドイツに99%同化してしまってたからどこがユダヤ人なのかわからなくなっていた。東方ユダヤ人を純血猫とするなら自分は雑猫である。
それ以後ユダヤ人意識が目覚めだしイデッシュ劇場に通ってイデッシュ劇を見るのを楽しみにした。死ぬまでヘブライ語でユダヤ教を研究していた。
トリノのユダヤ人、プリモレヴィもアウシュビッツで東方ユダヤ人と出会って以来ショックを受けている。
何か国語もペラペラでタルムードを丸暗記してる彼らが偉大に見え真のユダヤ人に思えた。
イデッシュ語もヘブライ語も知らずイタリア語しか知らない自分はユダヤ人なのだろか?
イデッシュ語はドイツ語の方言などではないきちんとした1つの言語だった。プリモレビはイデッシュ文化を垣間見てからというもの好奇心が鳴りやまずアウシュビッツから生還後寝ても覚めても考えていた。
イデッシュ語文学ヨーゼフ・ロート、ソールベロー、バーナンド・マラマッド、シンガー兄弟の本を読みふけった。
あの偉大な東方のアシュケナジ文化が数年の間に消えてしまった。今ではアメリカに行かないと残ってない。プリモレビは滅びゆくイデッシュ文化に深い敬意を表したのだった.。
1880年代ロシアで反ユダヤ主義が荒れ狂った。ポグロムを逃れてロシアから大量のユダヤ移民がアメリカに押し寄せた。アメリカ社会への適応に苦しむユダヤ移民にとってイデッシュ劇場は娯楽を提供してくれる憩いの場なのだった。
この時人気絶頂になったのがイデッシュ語訳のシェークスピア劇だった。とりわけ人気を博したのがベニスの商人である。
反ユダヤのベニス市民は全員英語。バッサーニオもアントーニオもポーシャも英語。
シャイロック一人がイデッシュ語で熱演した。ジェイコブ・アドラー演じるシャイロックの姿にユダヤ移民たちはは熱狂した。
反ユダヤのベニス市民を相手に孤軍奮闘するシャイロックの姿がユダヤ移民たちには悲劇の自分自身に思われた。
ベニスの商人のシャイロックくらいユダヤ人を泣かせた演劇はない。
ドイツで公演されたとき、ハインリッヒ・ハイネが観にゆき回りのユダヤ人がすすり泣きながら見ているのを目撃している。
ジェイコブ・パブロビッチ・アドラー(1855年2月12日- 1926年4月1日)はオデッサ生まれのユダヤ人。
オデッサのイデッシュ劇場に出ていたがイディッシュ劇場は1883年にロシアで禁止された。彼は英国に亡命し、ロンドンのイディッシュ劇場でスターになる。
1889年に、アメリカに渡って永住した。
娘のステラ・アドラー(1901年 2月10日 - 1992年 12月21日)は、女優となりアメリカで最も重要な演技指導者となる。
↓シャイロックを熱演するジェイコブ・アドラー