カーク・ダグラス 
本名イッサール・ダニエロヴィッチ・デムスキー 1916年生まれ。
彼はモスクワからニューヨークに移住した貧しいユダヤ移民のせがれだった。両親はどちらも文盲の農奴だった。当時の農奴は全員そうだったけど一生読み書きが出来なかった。両親が唯一読めるのはヘブライ語聖書だけだった。

父は日露戦争のためロシア軍に徴兵されるのを逃れて1908年ロシアをあとにした。ロシア系ユダヤ人はアメリカ入国に際し

健康診断にパスしないと許可されなかった。イッサールの父は幸運にもパスした。

しかし25万人は不合格でロシアに送り返された。この時ロシアに戻るくらいなら死んだほうがましだと3千人が命を断った。

帝政ロシアのポグロムは激しさを増しユダヤ人虐殺は日常茶飯事だった。

コザック兵はウオトカの勢いにまかせ、ユダヤ人地区を駆け抜けながらユダヤ人の脳天めがけて発砲した。
これをスポーツと見なしていたのである。
カークの母は道で兄の一人が頭を射抜かれるのを目撃した。
コサックに射抜かれなかったユダヤ人はラッキーだった。
父の屑集めの荷車を後押して家計を助けた。家ではイデッシュ語だったので彼は幼稚園に入って初めて英語を憶えた。

正統派ユダヤ教徒の家庭だったために血を抜いた肉を食べ皿を肉製品用と乳製品用と2セット用意しないといけない。おまけに過ぎ越しの祭りの時しか使わない第3セット第4セットまである。
正統派であることは女に過酷な労働を強いるのだった。

それでも母はロシアでコサックに脳天を射抜かれる恐怖におびえながら暮らしてた日々を思いだすにつけアメリカ生活を極楽に感じるのだった。

彼は12ブロックも離れたヘブライ語学校に毎日通わされた。どの通りにも悪餓鬼がいてユダヤ人の子を見つけては袋叩きにするのだった。

イッサールは毎日袋叩きにされ鼻血を流し

「お前がイエスキリストを殺したんだ」
と責められた。なんで自分が知らないおじさんを殺すんだろ?
ユダヤ人か?と聞かれ「そうです」と答えるとますます叩かれるので「ハーフです。」と答えることにした。
ユダヤ人と言うだけでなんでこんなに虐められるの?
しかしユダヤ人の中にもユダヤ人を差別する集団が居て

ドイツ系ユダヤ人はロシア系ユダヤ人やポーランド系ユダヤ人を毛嫌いしていてドイツ系ユダヤ人のクラブに他のユダヤ人を入会させなかった。

ヒトラーがユダヤ人虐殺をしてると聞いた時

「どうせポーランドやロシアのユダヤ人が殺されてるんだろう」と気にもとめなかった。

ユダヤ人の間にさえ差別が存在するのだ。それなら多民族の間にユダヤ差別があっても不思議でない。彼はそう思った。

ユダヤ人はいっつも叩かれモグラだった。
カークダグラスは毎日叩かれモグラをしてたけど母に

「ユダヤ人はアーリア人の10倍虐められるけど虐めに耐えた者でないと尊敬されるようにならないのよ」と言われいつの日かそういう人になろうと決意したのです。

バーミツバにもならない頃から彼はユダヤ教会の人たちから将来ラビになるべきだと期待されてきた。その人たちに向かって「ラビになりたくない。映画俳優になりたいのです。」って告白する勇気がなかった。
イッサールは幼い時から製粉工場、新聞配達、、40以上ものアルバイトをしてきた。

6人もの姉妹がいた。
彼は何で自分は貧しいのだろう?かと苦悩した。それはユダヤ人だからじゃないだろか?
彼の父はシナゴーグ中の酒を全部呑んでしまうほどの呑んだくれだった。
当時アメリカのユダヤ人は最下層にランクされてて工場労働者にも雇われずゴミ集めで稼ぐしかなかった。

イッサールは貧困から抜け出すためユダヤ人を止めようと決意しセントローレンス大学に進学した。授業料は大学からのローンだった。ローンを払うため庭師、ゴミ処理人までした。レスリングが強かったのでレスラーまでした。

大学卒業後ニューヨークの俳優養成所に進む。

ブロードウエーの初舞台は電報配達人の役だった。
1946年から映画で活躍始めるとつとめて強い男の役を選んだ。それは自分の性格改善の意味もあったのです。

1991年にヘリコプターで墜落し奇しくも一命を取りとめた。その時自分の内側で自分を支えていたものがユダヤ人としての自覚との葛藤であったと気づくのだった。
高齢になってから彼は同胞を支援するさまざまな活動に積極的に参加している .。

 

 

危険な道の撮影を米国巡洋艦の上でしたとき、巡洋艦の士官にユダヤ人がいた。​
カークは金曜の夜サバトの司祭をすることに決めた。
巡洋艦の艦長やジョン・ウエイン、オットー・プレミンジャー監督、パージェス・メレデイスたちと
夕飯をともにしてたら突然スピーカーがしゃべりだした。

「乗組員に告ぐ。20時よりユダヤ教の金曜日の夕べの礼拝を
カーク・ダグラス司祭がとりおこないます。」

カークは借り物のヤムルカと祈祷用のショールをつけ古いヘブライ語の祈りを唱えてラビをつとめた。
ジョン・ウエインとパージェス・メレデイスは好奇心に駆られてカークのラビを見にきた。


オットー・プレミンジャー監督はユダヤ人だったけど来なかった。



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 炎の人ゴッホを演じた。

マルク・シャガール画赤いユダヤ人

 








 

カークの父もシャガールもベラルーシ出身でカークとシャガールは同じルーツで結ばれていた。

カークがゴッホを演じてた時シャガールはしばしば手紙でアドバイスしてくれた。

 



  エリア・カザン監督とカーク