西欧より東欧にユダヤ人が多い理由は
ヨーロッパの中世に吹き荒れたペスト禍でヨーロッパの人口の三割が命を落とした。ユダヤ人は医学知識が豊富で衛生に気を使ってたから死者が少なかった。

ペストはユダヤ人の仕業と言われて殺戮が始まった。ドイツの3百数十か所で火刑、

八つ裂き、拷問でユダヤ人は血祭りにあげられた。キリスト教に改宗してたユダヤ人さえも殺され、またペストが流行ってない地域のユダヤ人まで殺された。

ドイツのユダヤ人が沢山東欧に逃げたのです。ポーランド国王カシミール3世はすぐれた技術者の多いドイツ系ユダヤ人の移住を許可した。

東欧ユダヤ人がイデッシュ語を喋るのはライン:モーゼル河地域に住んでたユダヤ人の言葉の名残です。
大体ドイツのユダヤ人は十字軍遠征の頃も東欧に逃げてた。

モンゴル軍がヨーロッパに攻め込んだとき
ユダヤ人が元軍に食料と武器を供給してドイツ侵入の手助けをしたという
ユダヤ陰謀説を流し
ユダヤ人大殺戮が起った。

西欧に吹き荒れた魔女狩りの嵐もロシア正教やギリシャ正教では起きなかった。

もちろんロシアではコザックによるポグロムが頻発したのです。しかし、これも住民が極貧だったためユダヤ人集落を襲ったのであって

ユダヤ人は腕のいい技術者が多く、鍛冶屋、鞍作り、靴職人、仕立て屋が多くて、町から一掃しまうと職人不足で実際困った。

それでポグロムも手加減してたのです。
しかし1882年アレクサンドル3世が公布した法令は

ユダヤ人の3分の1は国外追放、3分の1はキリスト教に改宗、残りのユダヤ人に死を、、という過酷なものだった。
この時東欧の多くのユダヤ人が新大陸に逃げました。

東欧にはユダヤ人の人口が町の半分以上を占めるシュテットルが多く、ガリチアのブ゙ロデイなんか9割がユダヤ人だった。

このシュテットルは東欧の封建領主にドイツやスペインのユダヤ人が金を払って痩せた土地を購入しシナゴーグを建てユダヤ人村を作ったのです。

ローザ・ルクセンブルグは書いている。
「私の父はポルトガル系ユダヤ人だった。」


ローザはあのころのポーランドの極めつけの秀才で

「ワルシャワのマリア・スクロドフスカか?ルブリンのローザ・ルクセンブルグか?」と噂されるほどだった。



彼女の生まれた町ポーランド、ザモシチの封建領主がイベリア半島の有名な学者や医師、高度の技術者の入植を許可したのだった。
ポルトガルのユダヤ人はカトリックに改宗したマラーノと呼ばれるユダヤ人でキリスト教が入ってるためごりごりのユダヤ教徒じゃなかった。

イベリア半島から脱出できたユダヤ人は比較的貧乏なユダヤ人だったという。


億万長者や影響力のあるユダヤ人は当局に目をつけられ逃げられなかった。

億万長者を追っかけるのに忙しくてその他まで追っかけなかった。


億万長者たちは毎日火刑に処され財産は没収された。

神々の栄光のために焚火が燃え上がり心悪しき異教徒たちを焼き尽くす。



狂気のスペイン異端審問時代が300年も続いた。


ポルトガルから辛うじて逃げ出したユダヤ人は

あまりに沢山火刑に処されたために自分がこの世に残った最後のユダヤ人かと思った。



写真ローサ・゙ルクセンブルグ

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火刑にされるスペインのユダヤ人
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ペスト流行時焼かれるドイツのユダヤ人。借金帳消しにするためにユダヤ人から借りた借り証文も一緒に焼かれた。