テーマ:ホロコースト



プリモ・レヴィは鯨の胃袋から這い出てきたヨナだった。自分と同じ鯨の胃袋から這い出てきたユダヤ人と終生深い絆で結ばれていた。


プリモ・レヴィが1944年1月アウシュビッツ強制収容所に送られた時まだ23歳だった。
レビたちを乗せた汽車は小窓を閉めたまま夕方まで発車しなかった。動く時間より停車時間のほうがはるかに長かった。トイレにも行けず垂れ流しだった。500人以上いた貨物列車のユダヤ人のうちアウシュビッツに降り立った者は男96人女29人だけだった。ほとんど列車内で死んでしまった。



スペインの異端弾圧を逃れてフランス経由でトリノに住み着いたユダヤ人の家系だった。
トリノのユダヤ人たちはユダヤ教の戒律に忠実な者もいればユダヤ意識などゼロでまるきりのイタリア人もいた。
レヴィのお父さんは戒律に忠実でなくてハムソーセージが大好きだった。ハムを買いに行っては計算尺で勘定してしまうのでソーセージハム業界で彼を知らぬ者はなかった。

イタリアのユダヤ人で強制収容所から生還できた者はわずかだった。
なぜならイタリアのユダヤ人は医者とか弁護士とかインテリゲンチャがほとんどだった。

収容所で肉体労働をさせられたとき、不慣れで下手だった。叩きのめされ、しかもドイツ語が理解できない者が多くますます殴打された。たいてい2週間後にガス室送りになった。

プリモ・レヴィは大學でドイツ語をとってたため生き残れた。化学者だったレヴィはアウシュビッツ内のファルベン社で研究者として働くことになった。化学者になる試験があったのである。7人が試験に挑戦した。
全員化学者だったけど一人だけ化学者でない者も受験した。
それはウクライナのカルパチア出身のラビ、メンデイだった。
彼はトリノ大学を首席で卒業したプリモ・レヴィが呆れるほど聡明で博識で法律家であり言語学者でもあった。化学者じゃないけど試験に挑戦したかったのである。
このラビは毎晩、ガリチア出身の男とイデッシュ語やヘブライ語でタルムードの議論をしていた。プリモ・レビはちんぷんかんぷんながら息を呑んで聴いていた。。



こういう民族存亡の危機にあってカルパチアのラビはユダヤの民を導くモーゼの気分だったに違いない。生存かけて語っていたのだ。


私はこのカルパチアのラビのことが気になって気になって仕方なかった。彼は生き延びたかな。
そしたら「アウシュビッツは終わらない」の最後に書いてあった。
このラビは戦後東ドイツのドルトムントに住む。彼は1965年プリモ・レヴィの「アウシュビッツは終わらない」のドイツ語版を偶然見つけて読んで自分のことが書いてあったので飛び上がった。
そしてトリノのユダヤ人協会気付で長い手紙を寄越してきた。
二人は長い手紙を交換しあったが1967年にレヴィはドルトムントまで出かけてあのラビと再会を果たした。

ラビはアウシュビッツ生き残りの女性と結婚して子供が3人生まれていた。

アウシュビッツを去って22年。

ラビはさらにさらに学識を深めていた。
カルパチアのラビ・メンデイは一家でイスラエルに移住する計画を立ててたという。

プリモは滅びゆくアシュケナジム文化に対する強い憧れ、深い敬意をしめしたのだった。

このシーンを読んで私は泣けて仕方なかった。
レヴィは1987年4月自殺しましたが心が病んだためです。ホロコースト否定論者がレヴィに心無い質問を浴びせ、彼は次第に病んでいった。

1979年フランスのルイ・ダルキエ・ド・ベルポアがホロコーストを否定する主張を展開し「アウシュビッツで殺されたのはシラミだけだ。」
ベルポアはヴィシー政権でユダヤ人問題を担当し

7万人のユダヤ人を強制収容所に送った過去を持っていた。

フランスの大学教授にユダヤ人の大量虐殺を否定する者があらわれ
アメリカのアーサー・バッツやイギリスのデビッド・アービング
らも同じことを言いだした。

この種の主張は1960年代フランスの歴史家ポールラシニエによってされていたが1970年代になって増えてきた。
今ホロコースト体験者が死につつあります。それをいいことに、ますますこの種の主張がのさばるでしょう。

カルパチアのラビはプリモ・レヴィの自殺に接して、、どう思っただろう?



アウシュビッツでは特にイタリア、ユーゴスラビア、ギリシャから移送されてきた者が意思疎通ができず苦しんだ。フランスから移送されたユダヤ人の場合生き残った者が多かったがそれはポーランド、ドイツ出身者のユダヤ人に限られた。アルザス出身者も生き残ったがフランス語ドイツ語両方喋れたためだった。

フランス生まれの生粋のパリジャンはドイツ語がわからず生き残れなかった。

逃亡ユダヤ人の場合フランスで隠れ家を探したため
隠れ家が罠になって逮捕されてしまった。それでもドイツ語がわかるので生還できた。

プリモレヴィはアルザス人に貴重なパンを与えてドイツ語を教えてもらった。アルザス人の助けがなかったらとても生き残れなかった。

ラーゲリではドイツ語が公用語だけど次がイデッシュ語、ポーランド語、シュレジェン語次がハンガリー語だった。

プリモレヴィはイエデッシュ語が理解できなかったため、
ポーランド、ロシア、ハンガリーのユダヤ人から疑わしいユダヤ人と思われてしまった。ムッソリーニの回し者かと思われたりした。

イエデッシュ語
は千年も昔のドイツ語とヘブライ語のちゃんぽんで東欧ユダヤ人の間で使われてた。
アシュケナジユダヤ人たちはこの世にイデッシュ語を知らないユダヤ人が存在することをプリモレヴイを見て初めて知ったのである。

イタリア系ユダヤ人がほとんど死に絶えてしまい、しかもイエデッシュ語を知らないユダヤ人だったためプリモレヴィは珍しい人類にされてしまった。

イタリアのユダヤ人であることは2重にも3重にも苦痛だった。

プリモ・レヴィは1942年電車でミラノの工場に通っていた。
電車の中で不思議な青年と知り合った。何週間もかけてトーマス・マンの「魔の山」を読んでいる。この青年に話しかけるとボヘミアのユダヤ人だと打ち明けてくれた。

この青年が毎日ドイツ語のレッスンをしてくれた。その直後プリモレヴィは逮捕されアウシュビッツに送られた。


この青年に巡り合ってなかったら彼は生きて帰れたかどうかわからない。


アメリカの作家フィリップ。ロス(ウクライナ、ガリチア出身のユダヤ人移民)とレヴィ。



アウシュビッツのガス室ではチクロンBが使われてましたがこの毒ガスを製造してたのがファルベン社の系列企業です。
アウシュビッツ内にファルベン社の巨大な工場がありプリモレビとか収容所内のユダヤ人の科学者を研究員に使ってたのです。沢山のユダヤ人が労働させられた。ファルベン社はナチス最大のスポンサーです。ドイツの軍需製品の85%を製造してた。
戦後ニュルンベルグ裁判でファルベン社の役員の多くが有罪判決を受けました。
ナチスに協力的で巨大な投資をした企業はドイツ国外にもあって
ロックフェラーグループのスタンダード石油もそうです。アメリカ国民が燃料不足で長蛇の列作ってる時敵国ドイツに石油を出荷し続けた。
フォード社もナチスに協力しドイツ陸軍のトラックを製造しタイヤを輸出し続けた。スイスもナチスに資金調達して加担してた。



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戦後ニュルンベルグ裁判でファルベン社の役員の多くが有罪判決を受けました。
ナチスに協力的で巨大な投資をした企業はドイツ国外にもあって
ロックフェラーグループのスタンダード石油もそうです。アメリカ国民が燃料不足で長蛇の列作ってる時敵国ドイツに石油を出荷し続けた。
フォード社もナチスに協力しドイツ陸軍のトラックを製造しタイヤを輸出し続けた。スイスもナチスに資金調達して加担してた。