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牛久沼のほとりをドライブしてると江戸時代からの鰻店が並んでて気になってた。龍ヶ崎はうな丼発祥の地である。

悩みがあった頃、悩み事が解消したならここに来てうな丼食べようと夫と約束していた。そして約束通り牛久沼に来て鰻のランチを食べた。うな蒲ちまき定食とミニうな丼定食と。鰻のちまきはおいしい。
次は、お姉ちゃん連れて食べに来よ。と考えてた。

あれから1年以上過ぎてしまった。昨日お姉ちゃんと牛久沼までドライブした。うなぎ店が次々閉店してて工務店に替わっている。

前来た店が見つけられなかった。入った店でうな丼頼んだらえらく高かった。小塚原の鰻店だってえらく値上がりしてるらしい。うなぎは絶滅の危機らしい。あたちが食べ過ぎたせいで鰻ちゃん絶滅しちゃったの?
鰻絶滅したらどうしよう?穴子丼食べよか?

今日のお店は牛久沼の水鳥やタヌキの剥製が飾ってあって江戸時代の雰囲気だった。


江戸時代後期に江戸日本橋堺町に芝居の金方(資金を出す人)で、鰻の大好きな大久保今助という人物がいた。その今助が故郷である現在の茨城県常陸太田市に帰る途中、水戸街道を牛久沼まで来て、茶店で渡し船を待っているときに鰻が食べたくな り、蒲焼きとドンブリ飯を頼んだ。

ところが、注文した品が出てきたとき「船が出るよー」の声がして。今助はドンブリと皿を借り、ドンブリ飯の上に蒲焼きののった皿をポンと逆さにかぶせて船に乗り込み、対岸に着いてから土手に腰をおろして食べたところ、蒲焼きが飯の温度で蒸されていて、より柔らかくなり、飯にはタレがほどよくしみこんで、これまでに食べたどこの鰻よりもうまかった。
これが「うな丼」の始まり。

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2日後、お姉ちゃんと那珂湊漁港へ。漁港で海鮮丼食べてきました。
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