志を果たして
いつの日にか帰らん
山は青き故郷
水は清き故郷

この童謡を聴くたびに斉藤茂吉のことを考えてしまいます。

彼が山形県金瓶村の農家の3男に生まれ高等小学校を首席で出たあと寺の住職から漢文、習字を習っていたことを考えるとあのまま村にとどまったらどんな人生だったろう。
のど赤きつばくらめふたつ屋梁(はり)にゐて足乳(たらち)ねの母は死にたまふなり

の歌はできたかもしれないけど教科書にのったであらうか。

斉藤茂吉だから教科書にのった気がする。


青山脳病院の斉藤紀一が村に馬鹿力の怪童と秀才がいると聞き両方東京に連れてきて養子にしたのです。
怪童のほうは出羽の海部屋に入門させて出羽が嶽となる。
秀才のほうは開成中学に入学させのちに一高から東大医学部にすすんで精神科医となる。(出羽が嶽が家に帰りたがって一週間泣き続けたために養家の人はうるさくて一週間睡眠不足になったそうです。)
茂吉のほうは山形から状況の途中一泊した仙台の旅館で生まれて初めて最中を食べてこの世にこれほど旨いものがあるとはと感激した。
上野駅に到着した時は
夜なのに明るくて電灯の明るさに感動した。

開成中学在学中、先生からも生徒からもズーズー弁をからかわれて屈折した思いを味わったという。
大学在学中から伊藤左千夫に師事作歌活動。

斉藤茂吉が日本文学に残した功績を思うと。茂吉がいなかったら柿本人麻呂が現代によみがえったであらうか。万葉集がよみがえったであらうか。

郷里に残ってたら石川啄木とか野口英世みたいに人の借金踏み倒す人生になってたんじゃないかと不安になってしまった。
斉藤家の養子になって医学博士と国民歌人の両方になれてよかったね,
実際は。男の子が生まれない斉藤紀一が斉藤脳病院の跡継ぎにしたくて郷里の秀才を呼び寄せた。だけど医者になれなかった場合は、山形県に帰す予定だったという。茂吉もこのことがわかってたから受験のたびに角番大関の気持ちを味わわないといけなかった。
彼がこの運命に立ち向かい敗北しなかったことが偉大なんである。
芥川龍之介は斉藤茂吉から処方されたベロナールを飲んで自殺したが「斉藤さんは僕よりずっと沢山ベロナールを飲んでいる。」と書いていた。
茂吉も十分病んでいたのだった。
 
一高時代の茂吉。手前は英語教師だった夏目漱石
                       茂吉の愛人、永井ふさ子
 愛人永井ふさ子に宛てた手紙を読んだことがあるけど
 
「貴女の女体はなんと美しい女体なのでせう」
とえんえんと書いてあって
この人の女体は感動的女体だったらしい。