時々、野鳥がいそうな林道にひとり行ってみたりします。
人がいないところにばかりこっそり出かけて、言葉にならない何かを得てすっきりします。
主従関係を築くのが嫌なので、ペットより野良にいる生き物を眺めている方が性に合っています。
鳥好きな人は、鳥のように空を飛び回れる生き物に対する憧れがあるのかもしれません。
双眼鏡で木々の間を眺めているとき、自分の眼とその対象の間に無音の静寂が流れているような、時が止まった感覚があるのを見つけました。静寂と一体化したように、身体の中に無機質ななにかが流れこんでくるような気がします。

何も書きたいことがないのに、何かを書こうとするのは、「ここにいるよ」という鳥の囀りと同じことかもしれません。小さな野鳥たちは身を守るために木々の枝葉の陰に隠れるのに、そんな声で泣いたら天敵にバレちゃうよとでも言わんばかりの声量で囀り、繁殖への行動を取ります。ハイリスクなのに、本能でそれをやっています。
今日ウグイスの鳴く声が聞こえました。
その木には一羽のウグイスしかおらず、ずっと鳴いていました。いつまでたっても仲間らしき鳥は近づいてこないのに、ずっと鳴いていました。
生きる為に取っている行動ですが、ウグイスに関係のない私からしたら、その声はいつ聞いてもただ「綺麗な鳥の鳴き声」です。
世の中で、喧嘩をしたり勝った負けたを繰り返している人間たちを空から鳥が見たら、「なんか人間も戯れてるなぁ。あいつら仲良いな。」くらいにしか見えないのかもしれません。
喧騒が増していくごとに、心は内側の静寂を築いていきます。
儚さに圧倒されて、感情が溢れそうになることもありますが、
そんな心の機微には気付ける私であることに、少しうれしくなったりもする今日でした。
