袋小路にいるわけでもなく、冷静になれば、逃げ道なんていくらでもある。しかし、生まれた以上、死がやってくるまでは何かをしてなくちゃいけない。

 

生存本能が種族保存のためにあるのなら、LGBTQの人たちはそれに該当しないということになってしまう。

子孫を残す以外にこの世でやるべきことって何か、、



多数派が通ってきた道は、合理的で苦しみが少ない、という点で共通している。

少数派になっていくと、そのうちの合理性の部分が、少し変わってくる。


遠回りというのは、迷ったり、止まったり、そこで休んだりすることで、それは既存の流れから一旦外れることを意味する。

一旦外れると何が起こるか。

 

慌ててその流れに戻ろうとするか。それとも自分という点を理解して、白紙から作っていくか。

その二つのどちらかだと私は思っている。

 

せっかく回り道をしたのに、同じ道に戻るのは、なんだか勿体無い気がする。

人生は、目に見えない「時間」という刹那で構成された高価な代物だから、その「時間」の大切さに気づくには、時間を失っていっているという実感が大切になる。他にも方法はあるだろうが、何かを失って気づくことほどパンチを喰らうことはない。


物でも人でもなんでもそうだが、失うことで人は気づき、改めることができる。

 

運よく失わずに来れた人が本当にラッキーだろうか。そうは思わない。


人生の中で一時的に浮かれることはあっても良いかもしれない。

流れに乗るというのはあくまで社会構造の中でのことが多いけれど、流れに乗って定年退職した人が気づくのは、「自分はこれまで社会の流れに乗っていただけで、人間としては点の存在だったんだ。」ということかもしれない。



人が生きているのは「点(ドット)」。

何かをすると、自分と離れた位置にまた「点(ドット)」が打たれる。

打たれた点が自分が気に入る物なら、そこまで歩いてみるとそれが「線(ライン)」になる。

線(ライン)が増えてくると、頭の中のフォルダーに景色と感情が増え、線の伸びた範囲の人達の気持ちも分かるようになってくる。

 

一番大切なのは、新たな点(ドット)まで歩くか?歩きたいのか?ということを自分で決めることだ。


他者の判断を一旦遮断して、

自分のこれまでの経験と知識、感情を通して、

これからの行動を自分で決定していくということだ。