久々に、家の手伝いをしています。
久々に読むお経には抜けもあってちょっと怪しいですが、まぁとりあえずやってます。
家業を避けると沢山の問題が発生したので、改めてまた向き合っているのですが、良いことよりそうでない感情を持つことも多く、私がこれまで対峙してきたことは複雑なことだったのだと再確認しています。逃げたいと思ったことや向き合いたくないと思ったこと、どれも感情としては正確だったんだなと思いました。
多分こういう避けられないものをカルマ(業)と古代インドでは呼んでいて、私だけでなく全ての人にカルマはあると思っています。
生きることは苦である(思い通りにならない)と四諦という教えの中で説いていたブッダは、事細かに対処法を教えてくれている訳ではありません。

何年ぶりかに会った檀家さんが、しつこく聞いてくるものだから端的に近況を答えたら、なんだか相手から見下されたような感じのリアクションがありました。「今何やってるんですか」と聞くこと自体が暴力的ですよね。30代後半で独身で、アパートを借りて一人暮らしをしているのがよくないことのような言い方をされて、田舎特有の狭い価値感を思い出しました。皆が同じような基準を満たすことができると思っている人は、まだ多くいるのかもしれません
一人暮らしで働きながら、こうして家の手伝いをするのも中々大変ですが、私のこれまでの経緯を知らない年輩の人に、「今何やってるんですか」と聞かれ値踏みされるのは、いささか虚しくなるものです。
「俺のことを何も知らないおまえに、ジャッジされる筋合いはない。黙ってくれ。」
そう思いましたが、逆に言えば、その人は他者の敷いた価値感で生きてこれた幸運な人だったのかもしれないと思い直しました。
お寺のことを改めてやり直してみていますが、やっていけるんだろうか、と思ったりします。
こうやって向き合っていくことでしか方向性は掴めないので、しばらくは苦しいままでも家のことには関わっていくつもりです。これが僕のカルマなので、避けられないものだからです。
私のしていく行動に対して神様がどういう采配をするのか、しばらく俯瞰していこうと思っています。この負荷を楽にしてくれるものは今は少ないのですが、生き急いだとしても、この問題には答えを出そうと思っています。🙂