久しぶりに海に行った。

今海に行くと色々過去のことを思い出しそうだなと少し心配していたが、杞憂に終わった。

 

海には境界線がないから、普段感じているような、人間同士が作った沢山の境界線を忘れられる気がする。

 

品のない笑い声を上げる若者数名が海にいたが、

私以外にもう一人、私のように一人でただ海を眺めている人がいて、何か安心の気持ちが湧いた。

 

 

日々のストレスを、スマホや知人・友人との会話で解消できれば良いのだが、

誰と話しても埋まらない類のストレスがあって、自然に触れると多少そのモヤモヤが沈静化されていくのが分かる。

自然の中に一人でいると、人といる時より孤独を感じなかったりする。

 

どんどん静かになっていく。

削ぎ落としていけば、自分の身体の内側にある呼吸や脈動すらも感じられることがある。

人といると、その人に合わせなくてはいけない。相手に合わせているといつの間にか自分のリズムやペースがなんなのかわからなくなっていたりする。

人と距離を置く性質があるから、よく人に誤解される。別に人が嫌いなわけではない。

ただ、時々いろんなことに投げやりになってしまうことがあるだけだ。

 

 

もう自分のために生きるのには疲れてしまったから、自分ではない何かのために生きようかな、と思っている。

一生懸命やっている理由もなにも、真っ白になってしまったから。

 

第一章「自分」というシーズンが終わって、第二章「利他」みたいなシーズンに入ろうとしているのかもしれない。

利他の相手というのは身近な人たちのことだ。ひょっとしたら、自身もその誰かの中に入っているかもしれない。

 

仏教観から言えば、自分というのは他人のようなものだから、この世界を構成しているものは全て「自分ではないもの」になる。

どこで何をしていても、感情に一喜一憂する弱き自我の遠く上に、それを俯瞰している静かな意識がある。

この意識には、情感的なものはない。ただ知覚としてあるだけだ。

それが。感情と距離を置いて身体の内側に共存しているのを知って、ずいぶん生きやすくなった気がしている。

 

変なことを書いたが、これを自分なりに理解するのに、長い年月を要した気がしています。

正しい解釈かはわからないけれど、経験を通して得てきたことだから、自分の助けになっています。