私も時々、こんなもんすべてやめてしまえば良い、と自暴自棄になることがある。

自分は何をやってるんだ、と思うことは毎朝のようにある。厄介な感情でもある。そういう時は、バイクでフルフェイスのヘルメットの中で、叫んだりする。おかしな行動だが、関係ない。


考え抜いた10年の中で、それよりもっと前に考えていた10年を足したら20年になった。

考えることは決して楽しいことじゃない。自分が取れる行動を全て紙に書き出して、行動していた


こんなもんなのか。と思った。幾ら頑張っても、到達点でさえ不満足なものだった。それは、結局はただ生きるだけなのか、ということでしかないものだった。たどり着く度にニヒリズムに吸い込まれそうになる。


人生の暇つぶしに創作を始めた。だが今は創作意欲が湧かない。


何の為にも生きてないのに、目標や行き先を持たないと前に足が出ないような社会の中で、無理やり背中を押される。全国民がこんな気持ちで生きてたら国は崩壊するだろうが、幸か不幸か、めちゃくちゃポジな人もいて、全体としてはバランスは取れてるのかもしれない。ネガな私は損してるけど、仕方ない、今日もマイナスをゼロに戻そう。


こうやって周りに流されないように生きてると、どうしても周りと調和しない。自分でやっていて、やはり辛いものはある。なので対策を講じる。

マッチングアプリなどは眺めてるが、彼女らの自己紹介文の「こんな人を希望します欄」に「嫌なことも笑い飛ばしてくれる人」とか「タバコ吸わない人」とか、「老いるまで仲良しでいれるような関係」とかあるけど、私は大抵該当しないので、そもそもこういうアプリで出会うことに懐疑的になってきた。

でも何もやんないより眺めてる方がマシなので、やっぱり眺めている。


流れみたいなものが一旦見えなくなったから、こういう時は自分で流れを作っていく意外にない。待ち望んだ何かが勝手に向こうからやって来ることはこれまでになかった。また何かを始めようとしている。後ろを振り向くと俯いてしまうし、「なんで生きてるんだろう」という意味のない問いに絡み取られるから、後ろを見ない為に、目標を設定する。


花も咲かないのにただ水をやり続けるのはなかなか根気がいるが、ここで倒れても、またはここでうまく流れて行っても、どちらにせよ自分を責めることはもうしない。よくやってきた。自分を誇りに思っている。


今日はそこら中に、赤っぽいトンボが飛んでいた。

一月ぶりに例の山道に行ったら、またカラスアゲハがヒラヒラと飛んでいた。


敬愛するNORIKIYOさんの曲。

誰かになろうとせず、よそ見せず、自分のことやっていこうと思う。

NORIKIYOさんにしては内省的な曲だが、前向きになれる曲である。