形にならないような感情を、輪郭のある形に留めておきたい。

 

何度も同じことを繰り返していく。

日が上り、やがて夜が来るのは、太陽と地球の関係性によって起こる。

人間が24時間周期で寝て起きて行動することを繰り返すのは、太陽と地球の関係性から勝手に枠を24時間と決められているからだ。この時間感覚に適応するように進化を遂げてきたのが人間を含めた地球上の生物だ。

 

生活の中に昼と夜があるのは、地球の自転により、太陽に当たる時間と当たらない時間があるからだ。

夜というのは宇宙では普通のことで、基本的に宇宙に光などない。真っ暗な暗闇がデフォルトの世界である。

 

 

人間として生き、学校教育に関わり、色んな人間と関わっていくうちに、人間というものは明るい昼間を生きることがデフォルトだと刷り込まれてきた感がある。学校というのは、社会構造をよく知らない大人が働いている場所だと知ったのは大人になってからで、教師の言葉を信じる必要はそもそもなかったのだと今なら言える。

 

これを書いている今。外は暗く夜だが、これは宇宙の暗闇と同質のものだ。

光の差さない事はなんら異様なことではなく、むしろ朝に陽が昇り、空が青くなっていく様子を見れることの方が、すごく「有難い(そうある事が難しい)」ことなのかもしれない。酸素があり、青空や清流を眺める事ができて、広い草原や、空を舞う虫や蝶がいる。

 

当たり前の事が、すごく稀有なバランスで成り立っているのだと気づくと、見方が変わる。

今同時代を生きている人たちも、50年後には半数以上がこの世にはいないだろう。100年後にはもはや皆無だ。

時々連絡する両親も、あと20年後には亡くなっているだろう。

 

当たり前の事に気づくための時間はたくさんあるのに、夏休みの宿題を最終日まで残すみたいに、ギリギリまで向き合わない事が多い。

そういう人は私以外にも多いと思う。

大切な人が亡くなってから供養をするのは、自分のためにしていることであって、本当は生きている間に供養をした方が良い。

「あなたの事が大切ですよ。」という行動をすることは、ある意味で供養である。人に対して感謝の気持ちを持つのは、その人を失う前の方が良い。

 

今がどんな状況であっても、気づくことはできる。

誕生日会や、祝い事は、そういう為にあるのかもしれない。

 

もう一歩踏み込むと、他者を供養するには、その手前に「自分を供養していく」というプロセスがある。

自分に感謝の気持ちを持ち、自分に労いの言葉をかけ、体と感情を大切に扱っていくこと。

そうしたプロセスを経ると、その次の段階に、身近な人たちを大切にしたい、と自然に思える感情の流れができていくものだ。