はて、誰の人生を生きている?

 

という自己紹介は、今も自分に向けて言いたい。

カモミールティーが売っていたので、それを蒸らして飲むことにした。

 

私は何を探し続けているのだろう。考えたところで、遠くのことばかり見ようとするだけで、今の自分が見えなくなってくる。

 

ありきたりな戯言だが、長いこと自分の感情に蓋をして、やるべきことや、昔見た幻影を追いかけてきた。

その幻影は自分で描いたものというより、今考えれば祖父の影響がほとんどだったように思う。

その祖父は死んでしまったので、もう別に祖父のために生きなくてもいいのだけど、まだ祖父に認められようとして行動しているみたいだ。



どちらかというと他人に興味がない私は、自分一人で物語を作ったり、漫画(つまらないけど)を書いたりするのが昔は好きだった。

誰かといて得るものより、自分一人でいて得るものの方が多かったんだと思う。

一人で何かをしているのは、誰かと何かするより疲れないが、予想外のことや新しい刺激は起きない。

そういう自分を、つまらない人間なんだと思ってきた。実際に臆病でもあった。

 

これまでの全てを一度、完全に記憶から消せたと仮定して、今していることやイメージしている先は、自分を大切にする選択なのかよく分からなくなってきた。勿論、働いてお金を稼ぎ続けなきゃ帰る場所がない私にとって、ある程度の基準を満たさないと生活自体が成り立たなくなるのは事実なんだけど。

でも綺麗事を時々言いたい。最初白だった服が、淀んだ色をしている。だから自分に向けて言いたい。

 

家業で見てきたことからも、人は死ぬ瞬間まで「自分が死ぬ」とは思っていない気がする。

明日も明後日も、来月も来年も、普通に自分の人生が未来にあると思って生きている。

家や車をローンで購入するのも、そういう先々の見通しが持てているからだと思う。

家があるのは便利だし、物が増えれば便利になる。普通はそれで問題ない。

 

でも、経済的余裕がない状況では、色々なものを増やしていくのはリスクでしかない。物は執着や苦しみを生むきっかけになりやすい。

ローンなんて私にはとても無理だ。

だからお金は使うべき経験のために、取っておく。


どうしたら良いんだろうか。

考えれば分からなくなるので、とりあえず風呂に入って寝よう。

大抵のことは、「何も考えないようにする。」ことで解決できてきた気がするから。