どうしたら良いかわからない時に、よく仏教書を読んだりしていたのだけど、
今はそういう気にもならない。ブラックホールのような虚無を目の前にして、
目が虚になっている。
自分のしたいことや、心喜ぶことを制限してきた過去を振り払えず、
脱皮しようとするたびに強烈なブレーキや、臆病風が吹く。
楽しむことに罪悪感を持つ。
なぜこんな贖罪のような生き方をしているのか、わからない。
こういう生き方をしている限り、私は脱皮などできず、小さく愚痴を吐いてバランスを取って
生きていくことになるだろう。つまんねぇな。
せめてもう少し、手応えのある人生を送りたいと思う。
そのためには、自分の心が喜ぶことをした方が良いのかもしれない。
社会的役割とか、義務感とかも、生きる意義にはなりうるが、
自分で自分に強制しているものや、義務感を感じてやっていることは、
自分の意思でなく、他者の意思が多いに混じった不純物であることが多い。
そういうものは、喜びというより、二次的な達成感を、頭で納得させているところがあったりする。
不純物の少ないものを、探しに行きたい。
とても、探したい。
きっと人間に生まれたのなら、心満たされる出会いはどこかにあるはずだ。
それが人だとは限らない。感性を開いていれば、どこかに求めているものはきっとある。
証拠はないが、それくらいあってくれないと、生まれてきたことを憎んでしまうだろうから。
こういう感情のときに、物事はゆっくり動き出す。
何をどうして良いかわからず、途方に暮れてしまった時に。