身体はものすごく疲れているのに、神経はマインドフルネス状態で、空の上から自分を見ているようだ。

自分がどこにいて何をしているのか、少し立ち止まって観察していれば全て、自分の内側の必然性に伴って進んできたことだと思った。

 

自然がやたらと多いこの地域で感じるのは、都会の頃と比べてどうしても保守的な待ちの姿勢の人が多いことだろうか。

私は惰性や暇つぶしに馴染めない人間なので、そういう地域に行くと浮いてしまう。

まだ都会に住んでいた頃の方が、今よりは人と比べることが少なかったように思う。静かすぎるのも思考が自分を疲弊させていく。



人には、その人に合った生きる場所というのがある。

 

ずっと前に沖縄に行って泊まった民宿は、本州から移住してゼロから始めた人が運営していた。

突飛なことをしているなぁと当時は思ったけど、今なら分かる。

時間は有限だし、人は100パーセント寿命やらなんやらでお陀仏になるので、やりたいことがあってそれができそうなら絶対にやったほうが良い。


もちろん、ストレスの原因となるものがゼロになるのも良くない。

適度なストレスにさらされていた方が人間はちょうど良いのである。楽しいだけでもしんどい生き物なのである。

 

心の行ったり来たりは茶飯事で、日本の文化に関するものを見たり聞いたりしたくはなくなってきた。

SNSやネットで流れている情報は、耳障りが良くて生活に役立たないものばかりだ。自分にはできそうもないことばかりで刺激と共に劣等感を植え付けられているような気がする。

 

世界が広いと知って情報が増えても、心にとって良いことが増えるわけじゃない。狭い方が良いことの方が多い気がする。

 

学校卒業後から一斉に始まる訳分からんチキンレースを終えられて良かった。普通の生き方のハードルの高さに辟易していることを昔は人に言えなかった。甘えだと言われたこともある。しかし自分がそう感じていることに蓋をすると、自分の声なんて一生聞こえなくなる。だから1人でいることが増えた。

 

銀行員か公務員かトヨタの工場で働くのが良い仕事だという謎の価値観が地元付近には昔から根付いていた。それは家庭と家、2人の子どもというモデルケースになりたければの話だと後で気づいたが、当時は「この生き方のどこに未来があるのかなぁ」と思っていた。


そういう生き方以外にも生きる方法はあるし、そういう生き方ができない人間に生きる道がないなら、この国は人が住める場所ではなくなっているということだ。それも神様の匙加減か。

 

先のことを考えても、明るい未来なんて見えない。結構多くの日本人がそう感じているように思う。

作戦を立てよう。まだ厳しい戦いになるが、このまま腐っていくわけにはいかない。独り身だから、自分の信念を曲げず貫いていって、そこで刺し違えても良いと思っている。それなら本望だ。

私にとっての問題はずっと「この環境」である。

いまの状況に納得がいってない。


気持ちが奮起してきたのはどうしてだろうか。