強さと弱さは誰しも両面併せ持っている。
この間ある女性を誘っていろいろな話をした時に、その人の弱さの部分に不意に触れた。
私自身のことを先に伝えておきたかったので、世間話はほどほどにして、私の芯のところを話した。
紆余曲折あって今ここにいる自分と、後悔なく明日死んでも問題ない心境で生きていることを、車で走りながらなんとなく話した。すると彼女の方にリアクションがあって、
「私も、明日死んでも大丈夫と思って生きている。」と言った。
なんとなく、私の方の「後悔がない」というのと、ニュアンスが違うような気がした。
彼女は少し、人生に対してネガティブな意味合いで言ったような気がした。
そのあとはまた世間話に戻って、あまり盛り上がることなく解散した。
彼女が背負っている人生の重さと、私が背負っている人生の重さは、中身は違うけれど、似たような重さなのかなと思った。
その人とはあくまで友人だが、人との関わりというのは「知人・友人・家族・恋人・師匠・他人」というような端的な言葉では括れないものが多い。
触れ合っては離れて、そのまま近づかなくなる縁もある。
今回その人にそういう話をしたのは、彼女が私にとってどういう人なのか確かめたかったからだと思う。
傲慢かもしれないが、ちゃんと踏み込まないと分からないことが多いから。
最初に「弱さ」と書いたが、それは彼女が強く生きる上で必要な考えであって、実際はそれこそが「強さ」なのかもしれない。
それはさておき、休日は家の掃除、買い物、静養に努めている。
先が見えないなりに自分で考えて、あれこれやるべきことを作り出している。
本当はやるべきことなんてないから若干自分を騙しているのだけれど、目標や道標がないと心が腐って何もしなくなる自分にとって、自らを鼓舞していくことは必要なことなのだ。
昨日の午前、近くの山林に鳥を見に行った。
キセキレイとルリビタキ、ソウシチョウを見つけた。
ルリビタキは何度見ても美しい鳥だと思った。
普通の青ではなく、瑠璃色の羽を持っていて、ちょこまかと飛び回っていた。
自分のことを綺麗だとかなんとも思っていないんだろうな。
先客はほとんどおらず、誰も知らない宝物を一人で見つけて喜ぶ子供のような気分でいた。
ただその日の餌と繁殖のことを考えて生きる鳥達を見てると、
何かを背負いそのまま下ろせなくなって、ごちゃごちゃしながら生きている人間という種が、
少しだけ滑稽に思えたりした。
私が鳥を見に行く理由は、荷物を背負わずに生きれることを学びたいからかもしれない。
