僕は長いこと、自分に合った仕事や環境はなんなんだろうと考え行動し続けてきた。
最初にやっていた家業は、お寺という謎な仕事だった。
僧衣を着て、覚えただけのお経を檀家さんという客の前で読み上げ、それでお布施という名目の代金をもらう仕事だった。
職務に反感があったというより、違和感があった。
こんなに簡単にお金が入ってくるのは間違っていると思ったし、いつかこの仕事は無くなっていくような気がした。
しかし檀家さんが求めているのは、先祖供養という見えないものへの信仰、、いわば霊的信仰への安心感であったから意味はなくはないと思ったけど、やっぱりどこかおかしい気がしていた。
次にやった仕事は障がいがある方の入所施設の仕事だが、仕事内容にそこまで専門性はなく、どちらかというと肉体労働が主の感情労働といった感じだった。利用者とのストレスは少なかったが、そこで働く職員のモラルの低さに気を落としていた。優しい人が多かったが、もう少し専門性のある人たちと働きたいと思った。
次にやったのは障害児が通う学校の教員だが、現在の教員の労働環境の過酷さを思い知った。
給料という人参をぶら下げられて、時間外労働と終わりのない人間関係の軋轢や煩いに悩まされるようになった。
精神疾患による求職者や復職者に対して、優しい言葉もないような人たちが多かった。
公務員と言えど教育実習をして免許を取っただけで、今は現場で働ける。
信念を持たない人は、福祉の現場より多かったように思う。
他にもいくつか、障がいのある方の職業適性を探す仕事や、就労継続支援という福祉就労の仕事をした。
専門性の高い仕事もあったが、そのどれについても気になったのは職場内の人間関係であった。
どの職場においても、人間関係というものが、そこで働く人を苦しめている。
声の大きい人が融通を利かし、声の小さき優しい人たちが去っていく。そういうのを何度も見てきた。
今の障害児の学校教育では、福祉就労や障害者枠での一般企業への就労、そういったものを目標に教育が行われている。
既存の枠の中に入るための教育をしている。そこからはみ出してしまえば、生きていく術が無くなってしまうからだ。
無理ゲーな世界観が前提になっているから、障がいを持つ子を持った親は闇を抱えていることが少なくない。
話は若干変わるが、人間には、自ら悩み退廃させていく人がいて、そういう人には悩める余力というか余白がある。
障がいがある人には、そういう余白がない。本当に、安穏に生きていける保証がないのだ。
障害年金といっても生活ギリギリの額で、その区分認定すらもらえない軽度の障害の人は、自力で稼いでいかなければならない。
本当の意味で人生を苦労しているのは、軽度の障害があって区分が下りず、周囲から理解を得られていない状況の人だと思う。色々な経験を通して私はそう考えている。周囲の障害理解があっても苦しいのに、ないなら孤立せざるを得ない。それが今の日本だ。
家のローンの借金が払えない。配偶者との関係。職場でのいじめ。家族との確執。慢性の病気を苦にして。
そういった理由で自死された人の葬儀に関わったり、そういう人が知り合いにいたりしたが、
そういう苦しみには、逃げ道がないようで、よく探せば逃げ道があったりする。選択肢はまだあるが、選択肢がないように思えたのだと思う。
障がいがあると、そもそもそういった選択肢自体が消えていく。選べるものがない以上、死なないために生きるより他ないのである。
私が、自己の仏教観からも、生涯を通じて関わるべきは、
好きでこの世界に生まれたわけでもないのに、たまたまの巡り合わせで、今世を障がいを持ちながら生きる人たちなんだと思った。
暗く重たい世界に住んでいるように見えるのに、なぜかとても純粋な生のあり方を教えられている気になる。
私自身が、そういった極端な障害を持たずに生まれてきた以上、そうでなかった人たちを支えるのは当然のことである。運でしかない自分のこの恵まれた環境を、素直に喜べない。
リア充(死語ですね)の人たちは、たまたま運が良かったことに気づかずにのうのうと生きているように見える。
仏教的に言えば、この世は痛み分けして然るべきだし、支え合わなければならないものだ。
煌びやかな世界に対し浅いものしか感じ取れない私は、これからも命尽きるまで、苦しき世界に身を投じていく気がしている。そんな気がしているから今も楽ではない道にいる。
これが私の本心で、きっと傲慢で無知で偏見だらけなのだが、本当にそう思っている。
私がこれまでずっと見てきたものは、世界の美しさなんかではなく、
人間の醜さや汚れ、傷つけあう人たち、共に分かち合えない人たちが作る歪なものばかりだった。
そういう世界であったから、私はそうありたくないと思って、心の清らかさを大切にしようとしてきた。
「心の汚れてない人などいないよ」とこの前、ある女性に言われたが、私はそうは決して思わない。
加齢や環境、その他諸々のことで人はどうしても衰退し変化していくが、心だけは意識次第では衰えることを防げると思っている。
私は身体は弱いが、信念だけは強い。
「心だけは、自分の気持ち次第で、綺麗さを保つことができるよ。皆なにもしないから汚れていくんだよ。」
そう言われてキョトンとしていた彼女だった。
流れに任せていれば汚れていくかもしれないけど、自分の足で立つなら綺麗な部分は取り戻せる。
小さなスタートを切ろうと思う。
待っていてもなにも来ないなら、神様、私の方から行きますよ。

