振り返らずに走り続けるしんどさみたいな感じ。

振り返ると私にしか分からない拙い轍があって、それは誰とも共有できないものだから、私自身の目に焼き付けておくしかないだろう。



それは誰しも同じか。

俺は一体何をやっているんだ、と何千回も自身に問うたけれど、

その問いが前進するきっかけにはならないので、やはり目の前のことを一つひとつやっていくより他に道はないのだと思う。

 

僧侶になろうと思った若い頃よりもっと前から、

人生は自由で開かれている反面、過酷で修行のように耐え続けなければならない感覚があった。

生きやすそうな人を見ていると、そこには共通して楽観性があった。

私にそれがないと言うことは、多分私の人生は後者の忍耐の人生に寄っているのだと、少し諦めに近い思いがある。

 

人は誰しも、等身大の自分を受け入れてほしいと思うものだ。

しかしストーリーが複雑になればなるほど、言葉で端的に語れるようなものではなくなってくる。

こうして文章化していることも、景色の一部に過ぎず、

じゃあ一体何をしたいのかとまた振り出しに戻る。

 

今日は少し疲れている。

子供達が帰った教室で、子どもの机に座って30分ほど目を閉じて休んでいた。

せわしない毎日の中で、大切なものがないままとにかく収入を得るために働き続けただけの一年だった。

仕事をやり終えた充足感はほとんどなく、ただまた次の目の前のことが現れるだけだ。



生きている理由を自分で言えるようになりたい。

生かされているのは知っているが、それが原動力にはならない今、自分でちゃんと設定した人生を生きたい。

この先私はどうなっていくのだろうか。