よく自分より年輩の人が言うこと。

 

「子供の頃思っていた自分の40代50代と、今その年齢になってみて感じる景色は、全然違う。こんなんで良いのか。と思うよ」

 

小さい頃描いていた自分は、なんでも出来て、世界は自由で、時間も無限にあるように思われた。

30歳くらいまではその感覚を持てていたが、そこから徐々に体力が落ちていき、できることと諦めなきゃいけないことが少しずつ明確になっていった。

ある年齢までは、増やせ増やせとほしいものを手に入れる。

しかし体力が下降してくる年齢になると、今度はそれまで手にしてきたものを、捨てたり減らしていくプロセスが必要になってきた。

 

若い頃あんなにときめいていたものが、今ではガラクタのように部屋に転がっていたりする。

感覚が鈍くなってしまったのか、それがいわゆる老いということなのか、分からないけれど。

手にしていたものを手放すのは、苦しいけれど、自分と相談した上でのことなら、それが折り合いをつけるということと同じになる。



昨日今日はずっと、引っ越しに伴う解約手続きや、契約手続きなどをしている。

ずっと自分1人で生活していて、先々の生活の明るいイメージは持ててないけれど、今やるべきことをやって、少しでも変化をしていくことしか出来ない。

大振りのホームランはもう狙わないし、狙えない。だから、地道に素振りをしてヒットを打って、コツコツ前進していくイメージを持つしかないだろう。

 

陸上競技のトラックに、いきなり出されて、走れ走れと後ろから追われ続けているような感じだ、生きることって。無理やり走らされてる。

生まれてきた理由が親の愛によるものではなく、親の所有欲だった場合、誰の人生かわからなくなるし。

けれどこうして色々考えて、俺は俺の人生を生きると意気込んで、過去にあったことをゴミ箱に投げ込んでも、ゴミ箱の中にあるだけでそこから消えずに残っているようにも思う。

 

私はなぜこうしてブログで、同じようなことを毎回綴っているのか、昨日海を見ながらぼんやり考えていた。

人と繋がりたい気持ちと、人に裏切られたような気がして傷ついた経験が拮抗して、

それでこうやって傷つかない手段で自分の思いを発信したいと思ったのが、最初の動機だったのを思い出した。



海を見ながら、俺に残されている人生の時間と、この人生から何を求められているのか、イメージしようとグルグル考えたが、答えは藪の中だった。

家庭を持つとか、週末には誰かとキャンプに行くとか、周りの同年代がしているようなことは一切せず、

自身の内側と対話してばかりの自分を惨めに思うことの方が多いが、

それが私の人生の在り方であって、小学生の頃から続けている自分の在り方なので、

他にどうしようもできない。

だからこの景色で良いのだと思った。

 

今日もいくつか電話をして、部屋の整理と、授業準備をする。

あと1週間で3学期が終わる。

長い1年だったけど、よく耐えたと思う。