気力が湧かないので、昨日に引き続きダラダラ過ごした。

明日は、

保護者に伝えるべきこと、

児童の様子で確認すべきこと、

音楽の発表会の準備をすること、

児童の次年度の目標を立てること、

引き継ぎ資料を作ること、

発達段階の簡易的な検査の準備をすること、

などやることが割と多い。


もっとやることが多い日なんてザラなので、まぁいいか。



今日は暗くなってから車で何も考えずぶらついた。

よく行く駅前の本屋に行き、トルストイの「光あるうち光の中を歩め」を立ち読みした。

昔読んだ記憶があるが、今また読む必要があるように感じた。


俗世間の中で無宗教で生きるのと、

俗世間の中にあっても宗教性を動機の核にして行動するのと、どちらを取るか、

といったような内容だったと思う。

ちゃんと思い出せないが。


無宗教の中で生きるのは、私にとっては苦しいことなのかもしれない。

なんの羅針盤もなく、行き当たりばったりの道筋になってしまうから。

宗教性は明確な方向性を示してくれる。

しかしそちらの道は時にたくさんのハードルを用意して待ち構えていることがある。

 

本屋を散策している最中、ずっとぼんやりしていた。

駅前を歩く人を見ても、ひたすら欲望に翻弄されているだけの人たちが、ただ暇つぶししてるだけの世界にいる気がした。

でもこれしかすることがない、それは俺もそう。

暇つぶしするには人生は長すぎるように思う。

無宗教で生きれる人はきっと、楽観的な思考の持ち主なんだと思う。

私は常に死や生のことばかり考えている。

仕事中はその思考から離れられるが、1人になるとやはりその思考がやってくる。



私が今後、大きく悩むのは、親父が死んだ時だと思う。

まだ今のところは元気だが、今後亡くなったとき、現状の問題が浮き彫りになる。

その時私がちゃんと自分の人生の羅針盤を握れているかで、方向性が大きく変わってくると思う。

 

帰り道、車でバイパスを走っていると、煽り運転のような車を何台か見かけた。

そんな急いでどこに行きたいんだよ、と思った。


昨日は私自身が煽られて嫌な思いをしたが、その時は私もかなりイライラして「事故ってしまえ、この○○やろう」と相手に対して思った。

慈悲心が薄れてきているな。これじゃ良くない。

怒りから発した行動は、自分も汚してしまうから。

 でもドライブレコーダーをつけても良いかもしれない。あおり運転は普通に危ない。