修了式が終わり、実質今年の仕事にキリがついた。

まだ引き継ぎ資料等の作成が残っているが、数日で終えられるだろう。

帰りの会で子どもたちに「1年間ありがとうございました。」と言ったら、子どもからもお礼を言われた。

何かが終わったんだな、と思い、少し感慨深い気持ちが湧いてきた。

 

昨日は、前年度に異動した別の学校の教師と酒を飲んだ。

私も久々の酒で少し調子に乗ってしまい、彼が年下ということもあって、ほぼ奢るような形にした。

翌日になって、出費を少し後悔したが、その時の感情ではそう思ったのであって、別に間違ってないよな、と思い直した。

これから引っ越しやら環境変化で貯金は減っていくし不安しかないが、なんとか生きていこう。



従兄弟が大学院での仕事を辞め、去年くらいから地元の隣町の寺で副住職をしている。

なんとなくyoutubeでその寺を検索したら、地元のTV番組がその寺の紹介をしている動画を見つけた。

従兄弟は頭がよく勉強が好きで、欧州に海外留学などしていた。

元々寺の仕事をするつもりではなかったようだが、色々あって40半ばでお寺に戻ってきた。

番組ではそのことにも少し触れていて、従兄弟がアナウンサーと楽しそうに話していた。

従兄弟に限らず、僧侶の格好をしている人を見ると、いつも言葉にできない複雑な思いが湧く。

駅前で托鉢をする僧侶や、電車に乗って法事に行く僧侶、時々そうした人を見かけることがあり、私も以前はその立場にいたのか、と思ったりする。

従兄弟は、地元を活性化したいとリポーターとして来ているアナウンサーに話していた。

 

20代の頃、黒い僧衣を着て、本堂で正座してお経を読んでいた時、私にとってこの仕事はきっと天職なのではないか、と思った時期があった。

物心ついたころから、人の生死や、生きるとはどういうことか、とかそんなことばかり考えていた。ちょっと変な子どもだった。別にそれは家が寺だったからそういう思考になった訳ではなく、なんとなく現実と乖離したようなもう1人の自分が常にいたからそういう思考になった。けれど家族の中では、そういう自分を抑えて、世間的に認められるような自分であるように努めていた。

 

現実はもう寺から離れて、今はなるべく寺や僧侶に意識を向けないように努めている。

それも自分の選択だが、これまで自分に嘘をついて生きてはないことだけは、確かだと思った。