ひどい夢を見た。

親父が死んでしまうという内容の夢で、夢の中で私はボロボロと泣いていた。

実際にもう親父に会えないのだと思って、そこから涙が止まらなくなった。

目が覚めて見ると、それはただ夢で、まだ何も起こってないことを知った。

 

仏陀が一切皆苦と言ったが、生きることは私にとってはしんどいことばかりで、これが楽しいと思えたことは少ない。楽しそうな人を見ると、持たされたものが違うんかな、と思ったりする。

 



しんどさをもう少し俯瞰的に見て、味わえるようになりたい。

楽しさや嬉しさ、喜びと言ったものは、絶対的なものと、相対的なものに分かれているように思う。

相対的な楽しさは、人と比較して得る承認欲求が絡むことが多い。

絶対的なそれは、人と比べることがないから、自分の中心が喜べる。

 

どの行動にも身体が発する目的があって、全てが合理的にできているように見える。

だが一つ問題があって、人間には他の動物と同様、生きるのに持たされた大義が存在しない。だから迷えるだけ迷える。答えがなく、自分で作っていくしかないのだから。

そこが大きな非合理的な側面だと私は思っている。

 

いくら自分の思いや気持ち通りに生きたって、それがもし人殺しや犯罪者のような性質を「持たされている」人間だとしたら、その人たちは自分の身体が勝手に向かってしまう方向に抗えないだろう。

私は仕事上、色々な人に関わってきたが、上手くいく人は元々の性格が良く、上手くいかない人は生育環境が良くなかった人が多いと感じる。そして上手くいかない人は、「元々持たされている性格」に悪い意味で引きづられていっている。

 

もちろん、そこから抜け出すことはできるが、それにはまず自分で気づかないといけない。

いくら他人からどうこう言われても、自分で気づく能力がないと、人は変わっていかない。

 

変な夢を見るたびに、私はいつまで生きられるんだろう、と漠然と虚しさに襲われる。