自分のこれまでの生き方は、心のどこかでいつかは僧侶になろう、というイメージのもと進んでいた。
なりたくない、日本の仏教なんて間違っている、そういう思いを持ってはいたが、仏教の考えに救われた人間でもあったので、安易にそれを手放せずにいた。
ただ私は、人から示唆されて、僧衣を着る事に、ただ虚栄心を満たすように向き合っていたことに気付いた。
演じる仕事、それを自分の中で正当化して、僧衣は自分を大きく見せるツールにしていたように思った。
この虚偽のアイデンティティを自分だと思い込んで、それにすがってきた自分。いつかは実家の空き寺を継ぐんだ、という思いを、心のセーフティネットにしていた。でも親と話し合ったことで、その自分のストーリーが架空のままに終わっていくことを知って、どう受け入れていけば良いか分からない、混沌とした心境にいる。
解放された感覚というのは少なく、喪失した感覚だけがある。
かなり厳しい気持ちを毎日味わっている。
インドに行ったときにたまたま会った人が、youtubeチャンネルをやっていて、ラップを作って歌ったり、坐禅の配信などをしている。こんなことやってる人、宗派では殆どいないと思う
インドでは2週間ほど行動を共にしたが、この人も寺の息子だった。同じ部屋で泊まったりもしたが、そこまでいろいろな話を深く共有することはなかったように覚えている。
その方は「インドで別に死んでもいいい。」みたいな投げやりな心境で来ていたが、寺の跡取りとしての責任と、自由でいたい自分の間で葛藤していたように見えた。かなりファンキーな人だったが、根は自分に嘘をつけない人なんだとも思った。
今日は久々にその人のチャンネルを見たので、勝手にここに上げておこうと思う。今は全く親交もない。
閉じたチャンネルではなく、オープンなチャンネルなので、別に本人から怒られることはないと思う。
この曲は、かなり言い得て妙な詩がつらなっている。田我流の「ゆれる」の詩を変えたものだ。普通に曲としてかっこいいと思う。