実家にいた間、心がまとまらず、すごく動揺していた。
両親と話すと、暖かさや繋がりを感じられる反面、両親も若くはないので、いつか死んでしまうような気がしてすごく儚い気持ちになって泣きそうになることがあった。
私が仏教系の大学に行ったことを、父は「私が僧侶になりたいと思って行った」のだと理解していたようだが、私は実家の近くの空き寺をやるイメージで行っていたので、そこに大きな意思疎通のズレがあったのだと分かった。
僧侶に興味はなかったが、家族のためにやっているということが大きい動機になっていた。それが間違っていたのだと思った。
私は本山を逃げ、地方僧堂にて1年修行したが、その時の動機も曖昧なものだった。修行は普通そんな曖昧な感じで行く場所じゃない。だから迷いが多く当時も辛かった。
兄は後継者としての道筋が明確だったが、私はよく分からない立ち位置だったため、せっかくの修行を終えても重要な仕事をする機会はなかった。20代は空振り続きだった。
大学在学中も、ずっと自分の人生を生きているような気がしなかった。
本山を逃げたことは、私にとって当然そうなる結果だったように今なら思う。
自身の進路の件については、両親にも私にも一定の非があると思っている。そして祖父にも。
しかしこの件で責任を負うのは当人である私なので、今更どうこう言っても仕方ない。
「今までの自分は、一体なんだったんだろう。」という喪失感が1週間ほど漂っている。
父としっかり話せた嬉しさと、実は私は大して必要じゃなかったという強烈な虚しさが、互い違いにやってきては去っていく。
突然涙が出てきたり、安堵を覚えたり、空っぽになって気がおかしくなりそうになったり、そういう1週間だった。
あくまで自分の内側のことなので、外側からは平然としている一人の男にしか見えない。
ずっと抱えていた不安や、ずっと支えにしてきたことを、否定されたというより「なかったことにされる。」ような感じで、私のアイデンティティそのものが崩れていく感じがあった。こんな経験は初めてだった。

今は、賃貸の部屋に帰ってきているが、色々なことを冷静に考えたくなったので、さっき髪を剃った。
髪を剃ると、なぜか虚栄心もなくなる、私の場合はね。そして、苦しい状況でも「これは修行なんだ」と前向きに捉えることができるようになる。所謂、「サバイバルモード」に近いかも。
髪を剃っている自分は、欲も減って生きやすくなるな。
人は自分のために生きるのが良いし、親や周囲の期待する人生を生きるとそこに「自分の責任から逃れる」ことが生まれる。
そうなるといろんなことがうまくいかなくなる。
でもそれを正確に判断できない状況であった場合はもはや仕方ない。そんな正論は、現場ではあまり役に立たないのだと思った。
これまでやってきたことのどれくらいが自分の純粋な意思で、どれくらいが期待を背負ってやってたのか、よく分からなくなった。
私でなければ、この境遇はきっと耐えられないな、となんとなく思った。
なんとなく、ね。
