神社。


日本人は一神教ではなく、多神教と言って八百万の神を信仰している人が多い。色んなところに神社があって、それぞれ神様が祀られ、地域の人達の心の拠り所になっている。

日本がいくら無宗教に近い国とはいえ、初詣やお盆の風習は未だに、在るべき慣習として残っている。

多神教は、アニミズム(自然崇拝)と少しベクトルが似ている。

万物に神が宿っているという感じ。


そう考えると、今生きている人達は皆、神が宿っているとも考えられる。

万物に宿っているのだから。


良い神、悪い神がいるのではなく、ずっと私達を眺めてくれている異次元の存在がいるように時々思う。

それはふと、過去と未来をつなげる不思議な出来事が起こった時に感じたり、何気なく海を眺めている時などに感じる。


神様は、優しくも怖くも意地悪でもない。

感情というものを持たないものな気がする。

ただ僕たちの人生を眺めている。

良い時も悪い時も、楽しい時期も苦しい時期も、ずっと昔から、生まれた頃から眺めている。そんな気がする。


私の中にあるこの意識それ自体が、神様の景色のように思うことがある。


いろいろな感情や思考を削いでいくと、それを客観的に見ている主体がある。意識だ。

意識は限りなく透明に近い感じがする。

感情や思考を削いで、自分の発する感情を観ていると、そこに明らかに自分とは呼べない何かがいる。一般的には意識と呼ばれているが、掴めない主体がある。(瞑想してる時に感じたりします。)


それを神様と呼ぶなら、誰もが皆、内側に神様を宿してるのかもしれない。


私の中にいる、私を見ている意識。

ずっと見ている。

見守っているのかもしれない。


ところで、この歳になってみて、神社によく行くようになった。私は神社に行って、「いつもありがとうございます。」と心で伝えている。切羽詰まっているときはお願いすることもあるけれど笑。


神様が本当に願いを叶えてくれるのか、感謝を聞いてくれているのか、、、気になるが、返事は全くない。(相変わらず神社の神様は無愛想だ。笑)

でもそれを願ったり思ったりしているその瞬間は、心の中に神様がいる。何かと繋がる感じがある。

その時に、自分が何を求めて祈っているのかが分かる。願いの中には、自分の本当にほしいものが、その実際の言葉よりもっと端的な言葉で含まれている。


神社で祈っても本質的解決には繋がらないことが多いが(神様ごめんなさい。)、いろんなことに気付ける場所だと思う。

不思議な場所である。