久しぶりに載せました。
随分と、いろいろな何かが行き詰まっていたので、この前、ある知人に相談しました。
その人は、自営で仕事をしている方で、SNSやネットを使って、心理学的なアプローチをしたり個人セッションをしたりして生計を立てている、行動的な方です。昔同じ職場で働いていました。
その人は私に、
「〜したい。」で始められることがあるのでは?、といつも暖かく促してくれます。
ワクワクすること、を探すことからだと。
1年以上、私はワクワクすることを探すために小さくもがいていました。
ワクワクすることを人生の中心にできたら、この曇り空が晴れるのかも、と一縷の期待を持って。
確かに、世の中でキラキラしているような人は皆、このワクワク感を大切にしている気がします。
私にとってのワクワクすることは、、今もよく分かりません。
子どもの頃にしてみたかったことは、全てやってみました。(少し無理もしましたが)
もしかしたら新たなワクワクすることがいつか見つかるのかもしれませんが、
今はないと思っている景色から、その知人の言う「誰にもそういう生き方ができる」と言う自由っぽい景色を想像して眺めると、どうにも自分が惨めに思えたりします。
過度の期待は毒になり得るのだなと思い、心のうちで諌めています。

私は、日本人の優しい性格も、日本の自然も大好きです。
海はとても綺麗だし、街や道路にはゴミはさほど落ちてないし、田舎に行けば空気も綺麗です。
でも一つだけ違和感を持つのは、日本の価値観かもしれません。
日本人は勤勉であることや素直であることに美徳を置くところがあります。
価値観が直線的な感じがあります。
仲間はずれになった場合、もしくは一匹狼でも良いから自分なりの生き方をしたい場合、どうしたら良いのでしょうか。
自己を啓発する上で出てくる力みや焦りが、「至ってない自分」を同時に浮かび上がらせ、結果的にマイナスな効果を発揮しているような気がしていました。
「頑張る」「目標に向かう」「幸せになる」と言う耳障りの良い言葉に、妙に腑に落ちないところがある私は、
執着を手放し、欲を減らし、目標を持たずに生きていく生き方もあるのでは?、と考えたりします。
私は今後、僧侶にはならないものだと思うようになりました。
今月、2人ほど尊敬するお坊さんに会ってその思いが強くなりました。「私には住職になる覚悟と、この責任を背負って立つ意欲がないんだ。もっと気楽に生きたいんだ」とその時に感じたからです。過去の失敗も勿論関係していますが、会って感じたことも確かだったように思います。
ただ、仏教のマインドは残しておきたいなと思います。
仏教の良いところは幾つも言えますが、「一人の例外も出さないところ」かもしれません。理論的に、誰も仲間外れにならない教えです。
永平寺という大きな修行道場を出て今は青森県に住んでいるお坊さん、南直哉さんの本を借りてこようかと思っています。
修行していたお寺にいた老師の、お知り合いのお坊さんのようです。昔、たまに読んでいましたが、また読みたくなりました。