こんばんは。

スラムダンクを描いた井上雄彦氏が、その後に書き始めたバガボンドを知っていますか?

大好きな漫画で、幾つも共感できる場面があるのですが、聾唖の佐々木小次郎が、山の中で修行のように人と闘いまくって、いつのまにか強くなっているというシーンがあります。


飲む水もなく、食べるものもなく、たまたま出合った敵が小次郎に向かって剣を振りかざしてくるのを、彼はもはや無意識の中で動き回って相手を倒していきます。

彼の目からは優しさは消え、相手が敵かそうでないかを判断する為だけに余力を使っているようでした。死線をくぐり抜けた小次郎は、それ以前とはまるで別人のような顔つきでそこに立っていました。


私の今の状況は、まぁ言ってみればそんな感じで、ちっとも望んでないのに、色んな試されるようなことがまた私にぶつかってきています。これを経て強くなってるのかもさっぱり分からないし、またトンネルの中に戻ったように思うこともあります。

小次郎もそうだったように、先を見てしまえば今を危うくするので、とにかく今のことだけを考えてやるしかないような感じです。


ここ最近、明確な壁がやっと見えてきたので、ある決意をしています。

私はもう諦める覚悟がつきました。何を諦めるかと言うと、これまでと違うことをしたり、新しい何かを求めたりすることです。

好きなことを生業にしようとしたり、嫌なことをなくそうとしたり、自分の意思だけで生きようとしたり。

そういう足掻き自体が自分を苦しめてることに気づきました。

前から気づいてはいましたが、まだ打開策はあるんじゃないか、という余白が肌感覚的に僅かにあったので、今回また挑戦していました。

ですが、正直「もう十分だ。」という結論に至りました。


身体の深いところから来る「もう十分だ。」なので、一時的な偽の感情じゃないと思っています。



なんで挑戦してばかりだったかというと、私は変化をすることが成長することだと思っていたからです。じゃあなぜそこまでして成長したいのか。それは「私は人より劣っている」という感覚がずっとあったからです。育てられ方に不平等さはなかったのですが、中学でイジメにあったことで、それまでも多少不安定だった自己像が大きく崩れたのは間違いなく、そこで失った自信を取り戻す為に自分に負荷を課し続けていました。


これまでこのブログでは、私の感情をそのまま書いていることが多かったですが、自分が不用意に吐いた言葉に感情が引きずられることが多くなって、最近はブログと距離を置いていました。


最近始めた、ある契約の仕事を終えたら、こんな疲れるだけの山登りはやめて、今あるものを大切にする生活にシフトしようと、そう思ってます。

したいことを探すのではなく、人から求められてきたこと、自分がそれなりにうまくやれたことをやっていこうと思っています。

それに気づく為のこの10年だったのだと思います。

今回挑戦した仕事によって、やっと「もう終わりにして良いんだ。」と肌や身体で思うようになりました。


手放せば楽になるのを分かっていながら、行けるところまで行かないと止まれない自分の性格をコントロールするのにこれまで必死でした。


「やっと、やっとのことで諦められた」と思うと、頑張った自分に感謝したい気持ちも小さく湧きます。


先輩に、

「それは諦めるってことじゃなく、要らないものを捨ててるんだと思うよ」と言われて、腑に落ちた気持ちになりました。


「無駄なことをしてる」「遠回りしてるだけ」「行動が理解できない」「一体何をしたいの?」

そういうことを言われたり、態度で相手から感じとったことは何度もありますが、その度に「あなたにはどうせ私の景色は分からないよ」と無言で言い返し、実は真に受けて凹んだりしていました。


自分のように不器用に生きる人に、「どんな行動でも、それは未来に繋げる為に、あなたにとって意味があることだよ。」と言いたいです。