片道2時間、往復4時間の通勤時間が長すぎて、何したら良いかよく分かりませんが、音楽ばかり聴いています。
キツイときは明るい音楽を、楽なときは歌詞が響く音楽を好んで聴いています。
ボブ・マーリーやジミー・クリフは一時期よく聴いてました。ジャマイカの音楽は、ただ聴いてるだけだと陽気にしか聴こえないですが、背景を含めて聴くと、サバイブの中で作られてる音楽だと気づき、二重の感動をもたらしたりします。
仕事に持っていく鞄の中に、日記をしまってあります。朝は憂鬱なので、その憂鬱な言葉を朝の電車に乗ってすぐ、数分でササッと書き殴って、すぐにしまいます。
謙虚であること、相手のことにフォーカスすること、
その2つでとりあえず今は乗り越えられています。
その逆で、傲慢になり自分のことにフォーカスし始めると、悪い流れになってしまうので。
何度も仕事で一年生をやっているせいか、一回り歳下の先輩にヘコヘコしたり、入ったばかりということだけで見下されてストレスのはけ口にされることにも、多少は慣れました。
それにしても、人に敬意を持つフリをするのは疲れますね。
ストレスはたまるけど、以前のようにやりがいの為に仕事するんでなく、生活するため、自立するため、自分をなんとか養うためという名目を思い出せば、「このshitが!」と思う気持ちを多少は鎮静化できる気がします。
それにしても、朝乗る電車の雰囲気は暗く、そこそこ人も乗っているのに、誰もが無表情でスマホの画面だけを見ています。
ここはある程度都会なので、資本主義社会の中の働き蟻としての機能が、通勤電車の中ではっきり露見されます。「僕たちはどうしてこの時代に生まれたんだろう?」と毎日思いながら、イヤホンから流れる音に私自身も逃避しています。
皆が何か同じ灰色の雲を共有しているような。
でも皆一緒だから、歪な安心感の中にある。
異様なのに、それが当たり前になってしまっている。
これもあくまで私のフィルター越しに見た景色に過ぎません。
生きることは人と駆け引きし続けていくことで、駆け引きを頑張っても誰も褒めてはくれません。
絶え間ない評価や比較の中で自分を保てる方が異常だと思います。沢山の嘘をつかなければ、自分を保つことは難しいでしょう。そして仮に保てても別に自分の自尊心を守ること意外になんにもならないのです。
これを書いている今は、自分を生きている実感があります。言葉にまとめてそのノートの表紙を閉じることで、色んなものが流れ込んできそうになる感情の箱の蓋を閉じれるのだと思います。
歪んでいく想いが増せば増すほど、少ない言葉でこの雲を突き刺すような文章を書きたいと感じます。
