帰りの電車は疲れたサラリーマンばかり。

チューハイ缶片手に顔を赤くしてるおじさん、スマホゲームをしながら眠ってしまった男性。


男性ばかりだからなのか、黒や紺などの労働感を与える色使いで、座席は埋まっています。


以前色々とあった、同期の女性は今月で辞めることになりました。色々話し合いの機会がもたれて納得の上でのことらしいので、私もそれ以上は何も言わないことにしました。


自己否定をすると外の世界も否定することになる。ならば自己否定をしなければ良いじゃないか?


とそんなシンプルな公式に、日常は当てはまらないのかもしれません。

相対的なものの中に全ての感情があるのなら、ただ揺れ動く天秤の皿に載せられていることと変わりないのかもしれません。



世の中の有り様から自分なりの公式を作っていくことは、幼い頃からずっと無意識に継続している習慣でした。あくまで自分なりのですが。


この世界は怖いものだというコミュ障のような自分は未だに根っこにありますが、私の居場所はきっとどこかにあるだろうという根拠のないイメージを持って、一歩を出し続けるというタスクを行っています。


5年前、支援学校の高等部3年に配属されていた時、配属の職員から一言ずつ、卒業アルバムにメッセージを書く機会がありました。

私は、精一杯の想いを込めてこんなことを書きました。


「卒業おめでとう。人生は自分の居場所を見つける旅のようなもの。うまくいかなくても必ず道は繋がっています。良い旅を!」


今思えば、あれは卒業生に書いた体で、自分自身に向けて書いたものだったのかもしれません。


綺麗事はただの綺麗事でしかないのかもしれないけど、時に小さな支えになるようなことがあります。