全然当たる気配のない占いばかり見て、気分転換しています。

綺麗事って生活の中で結構大切で、何かしら気持ちを区切ってくれます。

昨日はたまたま、ロード・オブ・ザ・リングを映画で見ていました。


どうしようか迷ったけれど、他に娯楽が思いつかず、月790円で見始めました。


ロード・オブ・ザ・リングは指輪物語という原作を元に作られています。作られたのは第二次大戦後すぐのようです。

映画のストーリー自体も面白いですが、この作品を通して、人間の弱さと強さを感じれるところが観ていて特に面白いところです。


指輪の魔力によって身を破滅させる者。自分の弱さに負けないよう、抗い続けるもの。


この物語に出てくる人物で、一人の力で指輪の魔力に勝てた者はいませんでした。皆弱さを持っていました。

けれど、一人ではなく仲間と共にその魔力に向き合っていくことで、結果的に目的を成し遂げるストーリーの中に、この作者の意図したメッセージが含まれていると思いました。


一人で背負う必要はなく、誰か同伴する者が近くにいること。一人じゃないという安心感。

時に仲間割れや裏切りが起きて、何も信じれなくなる状況が訪れます。この映画の中では、そういう時に一人で立ち上がれる人物は殆ど描かれていませんでした。殆どが自分の弱さに負けて、それで消えていくという感じでした。


この映画の中で、事態が好転していく時に必ずと言って良いほど同じパターンが描かれていました。

自分の荷物を自分以外の誰かが背負ってくれること。困っている自分の為に「共に闘おう」と言う仲間が現れること。

その心強さが、人に勇気を奮い立たせる力になって、状況を変化させることが描かれていました。


原作者のトールキンがこの作品を通して何を言いたかったは不明ですが、この映画では、人間の弱さは仲間を持つことで乗り越えられると明確に描かれていました。



退勤後の電車の中でこの日記を書くことが多いですが、最近は本当にこの時間帯にいろいろなことを考えます。


世界はそれぞれの人間が好き勝手生きてるだけにも見えるし、それぞれの人間の満たしたいものを埋めるために、ぶら下げられた人参を追っかけてるだけだとも思えます。

本人がどう解釈して眺めるかで、世界の見方は180度変えられるものだと思います。(言葉で考えているので、二元的になりやすい傾向はありますね。)


ただ、体調がその主観に影響を与えるのは間違いなく、自分のフィルターを歪めないためにも体調を整えていくことが最大の鍵になると思います。


私が今ささやかながら取り組んでいるのは、自分の半径5メートルくらいの人間を大切にするために、一つ一つの関わり方を丁寧にすることです。

元気な人もいればそうでない人もいる。イライラして私に挑発的に接してくる人もいます。

ただそういう人を安易に敵とみなすのではなく、彼らには満たされないものがあることを知って、欲しいものを先に渡してみようという挑戦をしています。


今のところはうまくいっています。

先月圧を感じていた先輩に、私の方から丁寧に穏やかで共感的な関わりを始めたら、関係性を多少改善することができました。


「もっと構って欲しい」「私の声を聴いて」

という言葉にならない想いが、イライラしたりイジワルしたり、人に高圧的に接する人の奥に隠されているように感じます。


それが表面的なところから出ているのか、奥深いところからきているのかの違いはあると思います。

けれど、人というのは目を見て話せば、誰にもその目に子どもの目と大人の目を持っていると私は思っています。


満たされてないのは子どもの自分の部分でしょう。

だから子どもに接するように優しく接しよう、と考えて今は生きています。

私自身に対してもそうかもしれません。子どもに接するように私自身と接するようになれたら、満たされない子どもを内に抱えた大人から脱皮できるのだとおもいます。


私は世の中が性善説でできていて欲しいと願っていますが、例外もあります。ただ、例外に気を取られて自分の生き方を忘れないようにしたいと、釘を打っていきたいです。