ロクなことがねぇなぁ(疲れ)と、また下を向いて、
見えるのは狭い部屋とか鼠色のコンクリートばかりだから、
なんにせよやらなきゃ何も始まらねぇなぁ〜と思い直す。
これも、1000回以上は繰り返している感情で、もう慣れ親しんでいることかもしれない。
所詮、他人は自分のことなど気にしていないから、人様にどう言われようとやっていくしかない。
人の真似をしたり、影響を受けても、やるのはこの自分だからどうせ遠回りになる。
これまでやってきた稚拙な自分のやり方でしか、結局前に進むことはないのである。

毎日に安心や守りたいものがある生活をしたことが殆どない気がして、
実際にそれが手に入っても、それを守るためにまた不安になるのだろうなぁ。
呑気に色んなことを前向きに考えられる人は、きっと長生きしたり健康で生きていく切符を持っている。
自分はそうではないから、そういう足し算していく人生というより、死なないために生きるということくらいしかできない。
歳を取れば、一定の人たちが、それなりの傷と癒されないものを抱えて生きていることが分かってくる。
老いはそれに拍車をかける時もあるし、諦めに導いて楽にしてくれることもある。
それまでしてきたことが、紙粘土が固まるように次第に固着してくるのである。
それが40歳以上の人生、所謂ところの。
身体的な制限で、いろいろなことがやれなくなっていくことはある。
所詮、この意識上の出来事であって、遠くに旅しても同じ場所にいても、何かを得ても得なくても、大した違いはないと思っている。生きていること、というのを放っておけば、誰もが人生自体の責任にしてしまえる。自分以外の責任にすると楽になるのだが、そこには必ず虚しさがついてくる。その奥には無価値感が待っているだろう。
だから、何かをしてみるしかない。
できればやりたいことのほうが良いが、やりたくない事に時間を使う自由もある。
好きなことや心地良いことだけをするのが自由の意味ではない。
自分のこの身体が感じ、示す方向に、他者の意図を含まずに進んでみることだ。
どんな事でも良いが、日記にも書けないような筋道の通らないやり方が、、、
結果的に自分の生き方になる。
そこでいつか、不器用なやり方でそこまで来た自分を、笑ってやりてぇなぁと思ったりする。
そろそろ、何かの潮時が来てるようである。